メタル一筋で還暦を迎えた男 ANTHEM・柴田直人の自伝が新事実満載でスゴすぎる
ジャパニーズ・メタルの重鎮、ANTHEMの柴田直人がその前半生を語った自伝を出版。
■メタル史に関する貴重な証言
常見:ちょうど20年前、NHK FMでANTHEMのライブを聴いて衝撃を受けてファンになったんです。その時のテープはまだ実家にあり、何度も聴いたんですけど、その中でも一度オーディションに落ちた悔しさを語っていましたね。
柴田:2人とも長い付き合いですけど、基本は変わらないですね(笑)。一緒にやろうと声をかけたときの反応から何から。三つ子の魂、百までじゃないですけど。
常見:日本のメタル史に関する貴重な証言も多数ありました。当時若干20歳のギタリスト清水昭男さんが加入することになるオーディションには、梶山章さん初め、著名なギタリストが来ていたとか、ANTHEMが解散したあと、じつは二井原実さんがやっていたデッド・チャップリンに誘われたことがあったとか。
のちのSLYにつながる、SHARAことEARTHSHAKERの石原慎一郎さんのソロアルバムにも呼ばれていたという。
柴田:そうですね(笑)。本でも書きましたが、SHARAが僕と樋口宗孝君(LOUDNESS、SLY、LAZYで活躍したドラマー/2008年肝細胞癌で逝去)が水と油のようだったとインタビューで語っていましたが、なぜなんだろう…と思います。
僕の認識とはまったく違うので。ANTHEMを解散したあとは、バンド活動はもういいかなと思っていました。ニイちゃん(二井原実/LOUDNESSのヴォーカリスト)から誘われた時は嬉しかったけれど、そういうことですからとお断りをしました。
SHARAのソロということなら参加できたと思いますが、SLYというバンドの話になっていったので、やはり同じ理由でお断りさせていただきました。
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■「頑固な男の生き様」を見てほしい
常見:新たなバンドへの参加を断るときに「EARTHSHAKERは解散するべきではないのでは?」と話していたり、ANTHEMのメンバーがやめる時もそうですけど、人に関する誠意に心が洗われました。
SHARAさんに関しては、文中でもギタリストとしての才能や、作曲のセンスについて触れてられていますね。
柴田:はい。僕はEARTHSHAKERというのは、広く日本のロックをつくっている貴重なアーティストだと思うんですよね。
常見:思えば、はっぴいえんどの頃から、日本のロックは、日本語をどうメロディやリズムに載せるかという模索をしてきました。サザン・オールスターズもBOΦWYもTHE BLUE HEARTSもそうです。
柴田:彼らの『GAMBLER』という曲が印象的ですね。イントロからメロディから、バッキングもギターソロも、シンプルでありつつじつにセンスも良い。
常見:LOUDNESSに加入した時の記述も興味深かったです。最初に山田雅樹さんの話が出てきて。彼と一緒のバンドに入るんだ、と。
柴田:1987年に坂本英三が辞める時に、スタッフから次のヴォーカリストは誰とやりたいかと聞かれて「山田雅樹はどうしている?」って聞いたんですよね。ちょうど、EZOとしてアメリカで活動していてこれからという時でしたね。
常見:じつは同じころ、LOUDNESSも山田雅樹を狙っていたんですよね。彼らのインタビューによると、1988年に二井原実氏が辞めた時、候補に上がっていたのは山田雅樹で、やはりEZOがあったので駄目だったという。
結局、二井原実の後任にはマイク・ヴェセーラが入り、そのマイクが脱退して山田雅樹が入るという。
柴田:そうなんですか…。この本は、人間関係の記録でもあります。僕がどんな人と、どのように向き合ってきたかという。頑固な男の生き様を見てほしいですね。