バチェラー進行役・坂東工 ローズセレモニーと手紙を渡す時以外は何を?

『バチェラー・ジャパン』の進行役でおなじみ、坂東工にインタビューを実施した。

坂東工

Amazon Prime Videoで配信されている、婚活サバイバル番組『バチェラー・ジャパン』。進行役を務めているのは、ハリウッド映画『硫黄島からの手紙』に出演したこともある、坂東工。

女性たちにバチェラーからのデートの誘いが書かれた手紙を渡したり、バチェラーが気に入った女性にローズを渡す「ローズセレモニー」で登場する彼に、同番組の進行役になるまでの生い立ちを聞いた。


 

■10歳から一人暮らし

ーこれまでの生い立ち・経歴を教えて下さい。

「色々あるのですが、まずは10歳からひとり暮らしをしていました。両親が離婚して母に引き取られたのちは、母は大阪、兄は大学進学、姉も海外留学で、僕だけ東京に本社がある母親の会社の社宅で一人暮らしでした。


仕送りは3万円。銀行に行ってお金を引き出そうとすると、10歳の子どもだからおろさせてくれなかったり(笑)。


新聞配達、八百屋、海の家の設営などのバイトをしていて、小学生では普通言わないけれど苦学生でした。当時はバブル全盛期でみんなお金を持っているのに自分だけない(笑)。仕送り3万円でも、コンビニだと1食で1000円はかかる。


給食もなくて、1日1食の生活を送っていました。そのわりには、よくこんなに大きくなったなと思います(笑)。


小学校に通いながら働いていて、放課後みんなが遊んでいる時に夕刊を配っているわけですよ。それを14・15歳の頃までやって。部活に出る時間はなかったけど、道場で空手をやって、深夜にバイトをしていました。


大学生の3・4年時は自分で生活費や学費は稼いでいましたね。21歳の時に起業したこともありましたけど、すぐに潰れてしまって、大学(日本大学芸術学部)にはほとんど通えていませんでした」


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■卒業後に渡米

ー大学卒業後は?

「すぐアメリカに行き、旅を1年半ほどしていました。その後身体を動かさなきゃと思って、芝居を始めました。サンフランシスコで1年半勉強してからニューヨークに戻り、初めてギャラをもらったのが26歳。


役者としては遅めのスタートですかね。仕事は取れていたほうだったと思いますけど、いつまで経っても名前が売れない。


そんな状況でアメリカにしばらくいると、『自分のルーツってなんだろう』と思うようになっていきました。10歳から一人暮らしをして、両親といた記憶もほとんどないし、どういう人生なのかも知らない。おじいちゃん、おばあちゃんのことも知らない(笑)。


アメリカにいて日本人として役者をやっていると、根無し草のような気持ちになってきて。それで、『自分のルーツってなんだろう』と思い始め、祖父母の世代はどういう人生なのか、歴史などを調べていた時に、映画『硫黄島からの手紙』の話がきました。まさに調べていた時代背景の映画で、背水の陣でオーディションを受けたら合格。


その時が初めての日本語の芝居でした(笑)。映画の撮影が終わり、一段落ついたところで帰国のタイミングかなと思い、30歳の時に日本に戻ってきました。


それまで役者として4年間でも、結構やってきたつもりだったので、日本での初めての役はエキストラだと言われた時は自分が小さい存在だと感じましたね」


ーアメリカには卒業前にも行ったことがあると。

「19歳の時に初めてアメリカに行きました。ニューヨークで『The Fantasticks』のオフ・ブロードウェイを見て、これはやばいと感動しました。80人しか入れない小屋で40年やっていて、目の前でミュージカルをやってくれるんですよ。


2部構成のうちの1部が終わり、外に出てふっと見上げるとエンパイア・ステート・ビルがライトアップされていて嗚咽しましたね。こんなにいい芝居がこんなところでやっているのかと。いつか住んでみたいと思って大学卒業後に渡米しました」

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