番組AD経験した元ロッテ選手、過酷な仕打ちを回顧 「もう二度としたくない」

元千葉ロッテマリーンズの山本徹矢さんは引退後、ADの仕事を経験していた。

2020/03/14 18:20


山本徹矢

「野球経験者ということでやらされたんですが、怖かったですね…」

そう当時の過酷な仕事を振り返ったのは、元千葉ロッテマリーンズ投手・山本徹矢さんだ。引退後、『ナカイの窓』(日本テレビ系)でADを務めたという異色の経歴を持つ人物でもある。

2020年2月に人材派遣会社『W-TK』(品川区)を起業し、現在は代表取締役の身。過酷な労働環境のAD時代を経て、現在の成功をつかむまでには常に“反骨心”があった。


画像をもっと見る

■起業前にADで社会を学んだ

山本徹矢

2008年、神戸国際大学附属高からドラフト5位で千葉ロッテに入団。11年に中継ぎなどで11試合に出場するも、一軍で日の目を浴びたのはこの年だけ。13年に戦力外通告を受け、再起をかけて12球団合同トライアウトに挑むも、オファーはなし。同年、ユニフォームを脱いだ。

話を聞くと、引退する前からセカンドキャリアを考え始めていたという。経営者などの本を読み漁り、「いつかは起業する」と意志は次第に強くなった。だがまずは社会や人の下で働くことを学んでみようと、ADの仕事に就いたのだった。

「ADが社会の中で一番厳しい仕事かな、と思って。長くやるつもりはもともとなかったし、テレビが好き、番組を作りたいという気持ちも持ってなかった。ADならいろんな人に会えるだろうし、厳しい労働環境も経験できるかな、と思っていました」


関連記事:小倉優子、テレビ業界での衝撃パワハラ暴露 「殺人未遂じゃない?」

■芸人が身体を張る企画の実験台

山本徹矢
(画像は本人提供)

バラエティ番組で芸人が披露する「身体を張る」ボケは、まずはADがトライするのだという。ADにさせてできないことは、芸人でも無理、という考えからだ。

実際、山本さん自身も、映像の撮れ高を知るためにバンジージャンプをやらされたこともあるなど、ADならではの仕打ちを受けた。

「ほかにも、『プロ野球選手だった』ということで、『めちゃくちゃ速い160キロを打てるのか』の企画をするにあたってキャッチャーをやらされたり。めちゃくちゃ怖かったですよ。もう二度とやりたくないです(笑)」


関連記事:サンド伊達、豪華メンバーと草野球試合 「とてつもなくすごい」

■不眠不休の時も

山本さんはAD時代、中居正広出演の『ナカイの窓』を2年間担当。「この番組は(労働環境が)まだマシなほうでした」と振り返るが、それでも不眠不休の状態で働き続けたことがあった。

「スペシャル番組だと、直前まで出演者が決まってないことが多かったんです。出演者のVTR作成に必要な昔の映像を引っ張ってこないといけないことがあって、(都内の)ツタヤに行って、なかったら埼玉県のほうまで中古のビデオを探しにいったり…。

寝てない状態で探しに行くので、きつかったですね。マックスでほぼ2日間寝なかったときは、睡眠がこんなに幸せなのかと感じました。

月に1回しか帰れないこともあって、下着がとにかく増える。ドン・キホーテとかで『10枚セットで安くなる』みたいな時には、『一緒に5枚ずつ買おう』と同僚に声をかけたり。靴下を履かずにスリッパで過ごすので、(皮膚にびっしりと汗などが染み付いて)みんな水虫。

朝7時から夜中の1時まで働いて、2時間くらい椅子で寝て、また働く、ということもありましたね」


関連記事:張本勲氏、筋骨隆々の大谷翔平選手にダメ出し 「プロレスじゃない」「走れ」

■野球好きの中居正広

山本徹矢さん
(画像は本人提供)

ところで、『ナカイの窓』に出演している中居は大の野球好きだ。同番組をはじめ、『中居正広のプロ野球魂』(テレビ朝日)など、多くの番組で現役、元選手たちと共演してきた。

自らの番組で、元プロ野球選手がADとして近いところにいるー。野球ファンなら興奮しそうな状況だが、そのときの中居の反応は、意外なものだった。

「ADを始めて1ヶ月目に『ナカイの窓』に出演したんです。スポーツ選手の出演者枠が埋まらないとき、演出の方から『山本くん出たら面白くない?』と言われて。最初は冗談だと思っていましたが本当に出ることになったんです。

野球界のOBの選手が来てもあいさつするくらいで、本番以外は話しませんでした。いつまでも永遠のファン目線として、選手やOBと仲良くなり過ぎるのが好きではないのかなと思いました。

ただ、ADからしたらカリスマだったので、どういう仕事観を持っているのかなど、じっくり話してみたかったです」


関連記事:タモリ、他局の出演番組についてコメント 「まさか…」とNHKに感心する視聴者も

■時給200円のときも

そんなAD時代は、手取りは18万円ほど。「(労働時間を踏まえて)時給換算すると、200円くらいのときもありました。突然来なくなる人、身体に不調が出る人、うつになる人もいたり…。でも僕は身体を壊すことも、精神的にきついこともなかったです。反骨心を持ち続けていたので」。

ADを経て、今度はNHKの関連会社に転職。サッカーやMLBのスポーツディレクターとなり、手取りは25万円、勤務時間も10ー18時になるなど、キャリアアップ。仮に帰宅できない日があっても、ホテルで仮眠できるようになった。

ディレクターになり2年後、「起業に向けての準備が整ったかな」と思い、退職。現在は各地に出張する毎日を送り、年収も倍増したという。

スーツ姿もサマになる、“成功者”の顔の裏には反骨心で成り上がったマインドが見え隠れしていた。


やまもと・てつや

1990年6月6日生まれ 神戸国際大学附属高ー千葉ロッテマリーンズ

2008年入団、13年に引退。

通算成績:11試合、0勝0敗0セーブ、12奪三振。防御率5.63

・合わせて読みたい→張本勲氏、筋骨隆々の大谷翔平選手にダメ出し 「プロレスじゃない」「走れ」

(文/しらべぇ編集部・Sirabee編集部

残業ロケ労働テレビ番組AD千葉ロッテマリーンズ過酷
シェア ツイート 送る アプリで読む

編集部おすすめ


人気記事ランキング