日本一初見殺しなトンネル、内部構造に目を疑う ドライバーは「絶対無理です…」
愛媛県に存在するトンネル。その内部で発見された「衝撃の光景」に驚きの声が上がっており…。
■このトンネル、歴史が激動すぎる…
愛媛県八幡浜市には「トンネルの中にトンネルがあるトンネル」という謎の道路が存在する。5mほどの幅のトンネルが、途中で3mちょっとという軽自動車がギリギリ通れるくらいの広さに小さくなってしまう(続) pic.twitter.com/stOPFLWinr
— 道民の人@COMITIA142 H55b 新刊ひなび・廃旅館本 (@North_ern2) November 12, 2022
まずは早速、同市の「総務企画部」に、ことの経緯を説明したところ、担当者の口からは「ガリバートンネルの件ですね」という興味深いフレーズが飛び出し、やはり市内関係者の中では有名なスポットであるようだ。
続いては「ガリバートンネル」こと、大峠隧道の詳細について「産業建設部 建設課」に話を聞いてみることに。トンネルが存在する「市道宮内伊方線」の歴史を紐解くにあたり、同課の担当者は「こちらの道路は藩政のころ、隣町(三机・三崎 現:伊方町)へ行く重要な道でしたが、標高が250mで交通の便に恵まれない、幅員2m程度の山道でした」と、江戸時代の交通事情について強調する。
時代は流れ、1951年(昭和26年)には地元民からの強い要望を受け、道路拡幅工事と併せてトンネル工事を着手。トンネルを掘削するに当たっては「本坑」を掘削する際の地質把握や水抜きとして利用するため、本抗に先行して全断面のうちの一部を掘った小さな孔道「導坑」を掘る必要があり、年内に60m、翌年に50mの計110mとなる導坑が完成した。
しかし52年(昭和27年)9月の秋雨により導坑中央部3か所で崩落し、トンネルが不通となる事態に。58年(昭和33年)には再びトンネル工事を推進し、事業再開として本坑工事をスタート。同時に、崩落した導坑部の復旧も完了させている。
だがその後、新国道197号の建設計画が浮上したことにより、トンネル工事が中断。そのため本坑と導坑の「ダブルトンネル」状態のまま、現在に至っている…というのが、ことの経緯であるようだ。
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■未完成ゆえの「完成形」
全延長110mの大峠隧道は本坑部50m、坑部60mという構造をしているため、半分ほど通過した辺りから幅員がグッと縮小するのが特徴。
それぞれの幅員は本坑部が3.9mから4.6m、導坑部が2.5mとのことで、担当者は「軽自動車なら通行可、運転が上手な方であれば普通車でも通行可ですが、大型車は通行不可となっています。そもそもトンネルまでの道が通れません…」と説明する。
同トンネルの今後の展望については「現時点で拡張することは考えておりません」と前置きしつつ、「導坑完成後約70年を経過しており、老朽化が進行しています。今後は今のダブルトンネルという独特な形状を保ったまま、補修工事を行なっていく予定です」とのコメントが得られたのだ。
最後に、取材序盤に耳にした「ガリバートンネル」という通称名について尋ねたところ「以前、地元の新聞やテレビで『ガリバートンネル』という名前で紹介されたことがあったのです。通行している人(車)自身が大きくなったり、小さくなったりという気分を味わうことができ、まさにこのトンネルにぴったりの名前だと思います」という回答が返ってきた。
当初の青写真を考慮すると「未完成」の状態である大峠隧道だが、時が流れて「完成形」へと昇華し、尚且つその状態で補修工事が加えられるというのは、なんとも興味深い現象といえるだろう。
しばしば人生における比喩表現では、トンネルという存在が例に挙げられるもの。概して「先が真っ暗で不安な時期」を表現する際に引用されがちだが、大峠隧道は当初の予定や目標から逸れた形で完成してしまったものも、後に思わぬ形で評価されたり、スポットライトが当たる可能性がある…という人生の教訓を、我々に説いてくれた気がしてならない。
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(取材・文/Sirabee 編集部・秋山 はじめ)