「東京の師匠」原田芳雄さんと酒場で偶然の出会い 究極のかき揚げ丼の思い出
【松尾貴史「酒場のよもやま話 酔眼自在」】人生に大きな影響を与えるきっかけとなった、故・原田芳雄さんとの偶然の出会いとは…。
25歳の時、原田芳雄さんと当時四谷4丁目あたりにあった「ホワイト」で遭遇した。遭遇というと大袈裟かもしれない。私は、日本放送のラジオ番組でお世話になっていた放送作家の北吉洋一さんがボトルキープしていたフォアローゼズを「勝手に飲んでいいからね」という親切を無駄にせず、ソーダ割りにしてカウンターで飲んでいた。4、5人も座ればいっぱいのカウンターで、背中側には向かい合わせに座れるテーブル席が3組ほどあるだけだった。
■「君、関西だろ」原田さんとの出会い
そこにやってきた男性2人と女性1人(他にもいたのかもしれないが、37年前のこと、私の記憶には残っていない)がとても楽しそうで、こちらは一人で飲んでいたから話し声が自然と耳に入る。どう聞いてもタモリさんと研ナオコさんの声だった。もう一人は、聞いたことがあるが誰だかわからず、判明した二人だけでも慄いているのに、振り返ってみる勇気はなかった。
しばらくすると、誰だかわからない太い声が「君、関西だろ」と話しかけてきた。ようやく振り向けるというよりも振り向かざるを得ないのでそちらをみると、黒いタンクトップに黒いサングラスをかけた原田芳雄さんだった。
「そうです」と、ちゃんと答えたのだろうか。京都の色街の話をしていて、店の中に関西人が私だけだったので声をかけたのだと思う。「こっちで飲もう」と促されて、大先輩方の谷間で大いに緊張しつつ知りうる限りの情報を披歴した。
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■渡された7桁の電話番号
どういう加減か、帰られる(んだか次の店に行こうと店を出るかした)ときに、芳雄さんがボールペンを借りて、黒田征太郎さんが描いたママの似顔絵があるコースターを裏返して大きめの文字で当時7桁だった家の固定電話番号を走り書きしてくれた。これだ、テレホンショッキングで桃井かおりさんが生放送中に翌日出る原田芳雄さんに電話をかける時、つい呟いてしまって全国に知れ渡ってしまった番号だ。
「今度、お腹空いたら電話かけといで。何か食わせるから」
そう言って、大先輩方は出ていかれた。当時代官山に借りていたアパートの壁に、その電話番号のコースターをすぐに貼り付け、いや、画鋲で刺したか。
果たして、空腹はすぐに訪れた。あんなことを言われても、本当にかけていいものだろうか。何か食わせる、とは何を食わせるのか。ご家族に混じって静かに食事をするのだろうか。気まずいのではないか。そんな心配をしつつも、勇気を振り絞ってダイヤルを回したら、誰かが出たので「芳雄さんはいらっしゃいますか」
随分と賑やかそうで、しばらくあってから快活な声が聞こえてきた。「タイミングがいいなあ! 今天ぷらパーティやってるからおいで!」