「愛や正義を自分なりに書いた」 橋本裕太、最新曲『愛を知っている』に込めた想い
橋本裕太の最新曲『愛を知っている』が中国の人気アニメ『魔道祖師』のエンディングに抜擢。楽曲の魅力を本人に聞いた。
とろけるような歌声“メルティーボイス”を武器に、2019年より中国を拠点にアーティスト活動を続けている橋本裕太。
3月15日にリリースされる最新曲『愛を知っている』が、中国で人気を博しているアニメ『魔道祖師 完結編』日本語吹替版のエンディングテーマに抜擢されたとのことで、作品に込めた想いを本人に聞いてきた。
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■スタートは過酷だった
───先日は28歳の誕生日(2月5日)、おめでとうございます。誕生日は日本で迎えたのでしょうか。
橋本:ありがとうございます。そうですね、11月末あたりに帰ってきていたのでその時は日本でした。じつはインドア派でして、自宅で過ごしました(笑)
───そうなのですね(笑) 現在、中国を拠点として3年と数ヶ月が経ちましたが、言語や文化の違いといった壁は乗り越えましたか?
橋本:留学で初めて中国へ渡った時は、ほぼほぼ喋れない状態だったので言語の壁は大きかったですね。周りに日本人の知り合いもいなかったのでかなり頑張りました。
ただ、勉強はしたものの座学だけだと中々喋れるようにはならなくて…。そんな中、中国で『青春有你3』というオーディション番組への出演が決まり、4ヶ月寮生活をすることになりました。
もちろん、聞き取ることは難しいし、言いたいことも簡単な言葉でしか伝えられない…当然通訳の方もいなければ、企画のルールで携帯も没収されるというな地獄のような環境に置かれまして。語学勉強の環境としては最高ですけどね(笑)
───なんとも恐ろしい状況ですね(笑)言語の壁もそうですが、同時に番組でも成果を残さなければならないわけで…。
橋本:そうなんですよ! 企画の中で3日間で番組の主題歌を歌って踊れるようになるというミッションがあって、中国の方でも間に合わない人がいる中、なんとかクリアできました。番組内で設定されているランクも上がったりして、そこで評価していただけて、自信に繋がったことを覚えてます。
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■現地の店員の意外な行動
言語の壁に奮闘しつつも、現在はアーティスト活動の他に役者業やバラエティ番組へ出演したりとマルチな活躍を見せている。とくに印象深かった仕事などはあるのだろうか。
橋本:ドラマ(『我的超能力男友』)の撮影は過酷でしたね。当時は簡単な会話はできる…といったレベルで、主演をさせていただいたこともあって、セリフ量が多くそれに伴って知らない単語もどんどん出てくるみたいな感じで。
中国はドラマでも声優がいて、後から声を当てるんです。ネイティブな発音じゃなくて良いというのは一つ救いではあったのですが、口の動きを正確にするためには、しっかりと発音しなければならないので、当時は1日数時間寝れるかどうかってレベルで台本にかじり付いていましたね。
ある種のスパルタ教育を経て、現在は日常会話程度であれば全く問題ないそう。しかし、日本との文化の違いにはいまだ驚かされることはあるという。
橋本:お店の人がかなりラフなんですよね。例えば…コンビニとかに行くと店員さんが普通に携帯で話しながら接客してきたりします(笑)QRコード決済とかも、コードを指さしながら「ほら、勝手にやって!」みたいな感じで。最初は戸惑いましたが、意外とその感じが心地よかったりして。
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■作詞には大きな違いが
「音楽は国境を越える」とはよく言われるものだが、やはりその国に根付いたスタイルというものがあるという。とくに歌詞に関しては、日本と中国では大きな違いがあるのだとか。
橋本:中国語で歌詞を書いたことがあるのですが。中国は“韻”を大事にしているんですよ。日本だったらしつこいと思ってしまうくらい韻を踏む楽曲が多くて、全部の行の終わりに韻を入れるような感じでして。
そういったことを意識して『Lover』『Flames』『Right Here』『Miles』を作詞したのですが、中国の友達に聞いてもらったら「ニュアンスの違いがあるけど、むしろ個性的でいいね」と言ってくれたりして。
中国語での作詞の回数を重ねるにつれて成長しているのは確かなのですが、意外にも最初に書いた『Lover』が一番評価が良かったりして。学んだからいい! というわけでもないんだなと驚きましたね。
───昨年にリリースしたアジアデビューアルバ ム『1,300miles』にその4曲が入っていますが、橋本さんの歴史が感じられるわけですね。
橋本:そうですね。ただ、そのアルバムを作ったのがリリースの1年前とかだったんですよ。僕としては1年前に書いた詞や歌を出すと言うのは少し照れ臭さもあったのですが、やっと作品として中国の方にも、日本の方にも届いたなと言う気持ちになりました。