三浦瑠麗は「国際政治学者」か? 私がこの肩書に違和感を覚えた理由
【舛添要一『国際政治の表と裏』】騒動の渦中にいる三浦瑠麗。コメンテーターとしてTVで世間話を繰り返すのが「国際政治学者」の在り方ではない。
■「国際政治学者」は現場も重視せねば成らない
私は、研究室に閉じこもって文献ばかりを読んでいるのが理想的な国際政治学者だとは思っていない。現場に足を運ぶことだ。流石に戦火のウクライナに行けとは言わないが、諸外国に足を伸ばして国際政治の現場を取材することも重要である。
その点では、テレビ局と提携して、海外取材を行うのは役に立つ。私は、かつて「舛添要一 アジアを歩く」という番組を持っていたが、返還直後の香港に行ったり、ASEAN諸国に赴いたりしたものである。また、ベルリンの壁が崩壊したときも、その取材に行っている。最近は、テレビ局も、私が若い頃に行ったような海外取材の予算が潤沢でなくなったことと、現地での安全の確保に手間取って、私が敢行したような現地取材はめっきり減っている。
そのような事情があるにしても、三浦瑠麗が国際政治学者が行うべき海外取材している姿を見たことがない。それなのに「国際政治学者」というタイトルを使っているのである。
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■ポピュリズムの極み
テレビ番組に出演するほうが、原稿を執筆するよりも、遙かに多くの金が稼げる。しかも、たいした勉強や事前の調査を求められるわけではない。こんな楽な仕組みの中に入ると、容易には抜け出せなくなる。
テレビ番組は、番組を制作するときには、ゲストについて固定したパターンを堅持する。数人のゲストを呼ぶときには、1人は必ず女性、しかも頭がよいと言うのは願ってもないことである。ただ余り頭が良すぎると、視聴者の反感を買う。そこで、ピントはずれなコメントをすることを含めて、三浦瑠麗程度が丁度良いといういうことになったのであろう。この程度の「国際政治学者」を重用するから、日本のテレビ番組の質が劣化したのである。
かつて大宅壮一が喝破したように、「一億総白痴化」の日本、三浦瑠麗はその象徴であり、今の日本社会はポピュリズム、衆愚政治の極みである。
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■執筆者プロフィール
Sirabeeでは、風雲急を告げる国際政治や紛争などのリアルや展望について、元厚生労働大臣・前東京都知事で政治学者の舛添要一(ますぞえよういち)さんが解説する連載コラム【国際政治の表と裏】を毎週公開しています。
今週は、「三浦瑠麗が名乗る国際政治学者」をテーマにお届けしました。
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(文・舛添要一)