東尾修、ライオンズ黄金期の豪快エピソード明かす 「バスのまま銀座に乗り付けて…」
ライオンズのレジェンド・東尾修氏が現役時代の裏話に花を咲かせた。日本シリーズ優勝後に…。
元西武ライオンズ選手で現在は野球解説者の東尾修氏、石毛宏典氏、さらには同球団ゼネラルマネージャーの渡辺久信氏が24日、埼玉・ベルーナドームで開催された『西武ライオンズLEGEND GAME2024(レジェンドゲーム2024)』記者発表会に出席。来年3月に開催される球団初のOB戦「レジェンドゲーム2024」に関連し、思い出話に花を咲かせた。
■入団直前の「日本シリーズ」
ライオンズにドラフト指名された1983年に触れた渡辺氏は「なんてクセの強い先輩たちなんだろう、というのが第一印象でしたね(笑)」と苦笑する。
「入団するまではジャイアンツファン。1983年の日本シリーズ『巨人対西武』を見ていると、大事なところになるとこのかた(東尾)が出てきて抑えちゃう。なので、ハッキリいって『クソッ!』って思ってました(笑)。この人が出てくると負けそうだなあと…」と東尾を横目で見ると、本人は上機嫌になり「素晴らしい先輩だろ」(東尾)とニッコリ。
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■日本一がほぼ確実になり…
渡辺氏の3年先輩である石毛氏はライオンズ黄金期を支えた1人だが、「日本シリーズは好きだったね。普段は脇役の立場でしょ? でも日本シリーズだけは脇役が目立っても良いと思っていたので、だいぶ厚かましくプレーした記憶があります」と回顧する。
東尾氏は「先発もリリーフも、抑えもやったけど、一番の思い出は(1982年)中日との日本シリーズ。優勝がもう決まるという時、(抑えで登板し)『ここは自分の時間だぞ』ってゆっくり投げたりしていたら、(ファーストの)田淵さんがイライラしててね。そこが一番印象的だった」と感慨深げに話した。
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■遠征帰り、銀座ネオン街に直行…
しかし、このエピソードには続きがあり、「名古屋で優勝して、帰りはバスなんだよ。なのでバスのまま銀座に乗り付けて、みんな人が変わったかのように…ぐしゃぐしゃに楽しんでねぇ。その思い出しか残ってない」と、今では考えられない豪快すぎる昭和エピソードも披露した。
当時入団2年目だった石毛氏もウンウンうなづきながら、「僕はその時に銀座遊びを教えてもらったんですよ。でも飲み会が終わるとピッチャー心理とかバッター心理とかの野球の話になって…」とニンマリ。「いろいろ良い経験になったんだな(笑)」と東尾氏はご満悦だった。
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■「二日間くらい立ち直れなかった」
最後に司会者から「最も思い出深い試合」を問われると、渡辺氏は、自身のノーヒットノーラン達成劇ではなく「(1989年の)西武球場で行われた近鉄バファローズとのダブルヘッダー。あの時のブライアントに喰らった一発は忘れもしないシーンで、今では良い思い出ですが、あまりに衝撃が大きすぎて当時二日間くらい立ち直れなかった」と明かす。
石毛氏は、日本シリーズ最高殊勲選手賞に選ばれた1988年を振り返り、「中日との日本シリーズですね。あれが集大成。(5戦目の9回裏)郭源治から同点ホームランを打って、延長11回の次打席はバント。長打もバントもできる選手と監督は思ってくれたみたいです」としみじみ。
ここでも東尾氏が合いの手を入れ、「(西武黄金期は)石毛のおかげかな。でも後ろから『ちゃんと投げろ』とかちょっかいばっかり出してきた」とオチを付けていた。
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■執筆者プロフィール
キモカメコ佐藤:1982年東京生まれ。『sirabee』編集部取材担当デスク。
中学1年で物理部に入部して以降秋葉原に通い、大学卒業後は出版社経て2012年より秋葉原の情報マガジン『ラジ館』(後に『1UP』へ名称変更)編集記者。秋葉原の100店舗以上を取材し、『ねとらぼ』経て現職。コスプレ、メイドといったオタクジャンル、アキバカルチャーを精力的に取材中。
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(取材・文/Sirabee 編集部・キモカメコ 佐藤)