大田泰示氏、読売ジャイアンツ時代に感じた“ドラフト1位”の重圧を告白 「すげえところに入ったなと」
2008年のドラフト1位で巨人に入団し、松井秀喜氏の55番を継承した大田泰示氏。当時の「重圧」を語った。
元読売ジャイアンツ、北海道日本ハムファイターズ、横浜DeNAベイスターズの大田泰示氏が岡崎郁氏のYouTube『アスリートアカデミア』に出演。巨人時代に感じたプレッシャーを語った。
■大田氏と岡崎氏がトーク
2024年シーズン限りで現役を引退した大田氏と岡崎氏がトークをした今回の動画。
大田氏が巨人に入団した2009年に、2軍監督を務めていた岡崎氏は「客観的に見て、もう飛び抜けていた。もうキンキラキンで」と振り返る。
続けて「育成と言ったら、言い方はおかしいけれど。選手はコーチとか監督じゃなくて、自分で伸びていくんだろうと思うけど、この人はどういう道のりを歩むんだろうと、すごく楽しみにしてた記憶があるんだよね」と語った。
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■巨人入団時の心境を告白
巨人入団1年目を振り返った大田氏は「すごい世界に入ったなと。もうインパクトがありました、 僕のなかで」と回想。
当時の状況について「やっぱりジャイアンツという大きな看板があって、やっぱり常勝軍団という中に入って。しかもドラ1で、55番で」とコメントする。
話を聞いた岡崎氏は「プレッシャーはあるよね。原辰徳さんの高校(東海大相模)の後輩だしね」と理解を示した。
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■「すげえところに入った」
大田氏は「そういった意味では今思うと、僕の受け皿では受け止めきれなかった部分もあるのかなというのは感じますね 」とポツリ。
また、「18で入って、そのときにベテランでおられたのが、木村拓也さんとか、40手前ぐらいの先輩が多かったんで。それで売り出し中の坂本勇人さんがいたり、中軸で阿部慎之助さんや小笠原道大さんがいたり。すげえところに入ったなと、圧倒されました」と振り返る。
岡崎氏は話を聞くと「いや、凄い選手が入ってきたと思ったよ」と声をかけ、当時の思い出話に話を咲かせていた。
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■ファイターズで才能が開花
大田氏は2008年のドラフト会議で複数球団から1位指名を受け、高校の先輩で監督を務めていた原辰徳氏が当たりくじを引き当て、巨人に入団。松井秀喜氏がFA移籍後、空き番号となっていた55番を背負い、将来の4番として期待された。
しかしプレッシャーもあってか、なかなか1軍に定着することができず。2014年には背番号が44に変更されたが、それでもレギュラーにはなれず、2016年のオフにファイターズにトレードとなった。
ファイターズでは栗山英樹元監督の力添えもあり、才能が開花。5年間で66本のホームランを放った。