カンボジアからレポート 全世界に悪名を広めた売春村「スワイパー」の今
かつては悪名高き村だったが…
プノンペン市街地からサムロー(三輪タクシー)で北へ走ること30分。スワイパー村の入口に到着した。
——スワイパー。
知る人ぞ知る、世界に悪名を轟かせた、世界最悪と言われた売春村だ。
1990年代、貧しさで苦しんでいたカンボジアには、あちこちに置屋街が生まれた。その中の1つがスワイパー村だ。この村の特徴はただの売春村ではなく、売られているのが少女や少年だったことにある。全盛のころは10歳未満の少女まで売られていた。そしてその少女を求める男たちが世界中から集まった。
村のあちこちを歩く白人や日本人たち。少女を買うことが観光産業のように、村を闊歩する男たちであふれかえった。考えただけでおぞましいが、スワイパー村は少女売春によって潤っていたのだ。
世界中からロリコン男を集めたスワイパー村は、2000年を迎えたころNGOが介入。その後、警察による摘発が幾度か行われ、2003年、ついに一斉摘発を受けて壊滅した。売春村としての役目を終えたのである。
あれから10年。売春村としての機能を果たしていないと言われるスワイパー村へ訪れた。我々を乗せたサムローの運転手は
「気を付けろよ」
と言ったが、それが何を意味するのかは分からない。売春村として終わっているなら、気を付けることなどないはずだ。スワイパー村の入口に立った。
10年前に売春村としての機能は壊滅したとはいえ、世界中に悪名を広めた村である。わずかに緊張しながら村へと歩を進めた。
売春産業なきあと、村に農業や産業が皆無なだけに、男たちは近くの街へ働きに出るなどしか生きる術はない。日中のスワイパー村で見かけたのは、ほとんどが女性と子供だ。
この村に世界中から少女嗜好の男たちが集まり、10歳にも満たない男の子や女の子を買い漁っていたかと思うと、村に漂う静けさすら不気味に感じてしまう。
さらに村の奥へと歩いていく。ボロボロで朽ち果てそうな家屋が建っているかと思えば、隣に建ったばかりのような真新しく、豪華な家もある。同じ村の中で著しい貧富の差があるのだろうか。
舗装されていない道路にベンチが1つだけあり、ベトナム語が記されていた。スワイパー村に住んでいるのはカンボジア人ではなくベトナム人が多数を占めているためだ。ポルポト政権崩壊後、同じく貧しかったベトナムからスワイパーへ移住してきたのだという。
ベンチに書かれたベトナム語、お婆ちゃんが被っているベトナム製三度笠。ベトナムの薫りがそこかしこに立ち昇っている。彼らはスワイパーへ移住してきたことをどう思っているのだろうか。
私たちは村の中にあるテーブルがいくつも並べられただけのコーヒーショップに入り、従業員の女の子に話を聞いてみた。
「警察はこの村によく来るの?」
「しょっちゅう来ているよ。もうこの村では、少女売春なんてやっていないけどね」
表向き、売春は壊滅したと言われている。しかし、村ではまだ秘密裏に売春を斡旋している家があるという話も聞く。プノンペンのとある店で出会った日本人はこう話してくれた。
「この辺の警察とつながれば、売春をやっている家へ直接連れて行ってくれるって話だよ。警察が家の裏口をどんどんどんって叩いて家人を呼び出してくれるんだって」
その話は事実かもしれない。しかしそこまでのリスクを冒してまで、スワイパーで売春しようとする者は、ごくごく少数だろう。
店員の女性は私たちとの話を終えると、テレビの前に移動した。流れるドラマを他の客たちと食いるように観ている。
1990年代から2000年代前半にかけ少女売春で荒れた村は、10年以上の歳月を経て、おだやかな風景を取り戻したようだ。
(文/しらべぇ海外支部・西尾康晴)