【セレブも真っ青】世界一の銀山を握った豊臣秀吉 ケタ外れの財力とは?
とんでもない大金持ちの話は、テレビのバラエティ番組などでたびたび取り上げられています。しかし、そんなレベルじゃないのが、「歴史上の人物」の金持ちエピソード。
日本で、その代表格といえば、戦国時代の乱世を終わらせ、天下統一を果たした豊臣秀吉。学校で、刀狩や、太閤検地という言葉を勉強したことを覚えている方もいるかもしれません。
秀吉の財力は、金山・銀山によるものでした。秀吉の時代に新しい採掘法が普及し、銀山の最盛期を迎えた時期。なんと日本産の銀が全世界の3分の1を占めていたというから驚きです。
中でも、信長から領地として与えられた生野銀山は日本屈指の生産量を誇り、豊臣秀吉はそこを直轄として納めることで莫大な利益を収めていました。
そんな秀吉は自分の持ち物によく金を用いていました。遺品から甲冑や兜、軍配にまで金や金箔を用いたことが分かっています。もちろんこの話の筆頭は「黄金の茶室」でしょう。
実は、2015年3月31日まで関西国際空港で、復元された黄金の茶室が常設公開されています。しかも、この茶室は、組み立て式であり、移動も可能。秀吉も茶室を持ち運んで見せびらかしていたかもしれません。
ちなみに、2009年に広島三越も復刻展示会を行ないましたが、じつに3億5000万円の費用がかけられたそうです。
1587年に開かれた「北野大茶会」では、秀吉自らが亭主をつとめ、諸家秘蔵の名物茶器・道具が披露されました。この茶会は九州平定と聚楽第(じゅらくだい)造営を記念して北野天満宮境内で行われ、千利休も秀吉と共にお茶を点てたと言われています。
1589年に秀吉は「天正の金くばり」と称して2万枚もの金や銀を公家や大名に配ったそうです。まさに「金をばらまく」を体現した出来事でしょう。
秀吉の金持ちぶりは、通貨づくりにも。17.5センチ×10.4センチの「天正長大判」は、貨幣史上最も豪華と言われているそうです。現在は造幣博物館にて展示されています(画像は「天正大判」)。
画像出典:Wikipedia
そして極めつけは大阪城です。とりあえずの完成に3年かかりました。大阪城は39メートルもあり、屋根には金箔瓦が載せられていたそうです。
その費用は、今の値段に換算すると780億円。さらに2キロ四方で整備した城下町の工事を含めると約5兆円に上ると言われており、アルゼンチンや台湾の1年分の国家予算に匹敵します。関連工事は秀吉が亡くなる直前まで続けられたそうです。恐るべし秀吉。
皆さんも、宝くじやBIGが何回か当たったら、参考にしてみてはいかがでしょうか。
参考文献:大富豪破天荒伝説Best 100 著:真山知幸 東京書籍 2014/9/10発行
(文/しらべぇ編集部・スギタユノ)