落書きから見る歴史 いたずらが「第一級史料」を生み出す?
ドイツの世界遺産、ケルン大聖堂に落書きした大学生のTwitterが炎上した。
じつは世界遺産や歴史的建造物への落書きは、現地では「日常茶飯事」と表現してもいいほど頻繁に起こっている。観光客によるいたずらをそのまま放置しているところもあれば、24時間体制で職員を配置し厳格に見張っているところも。
落書きという行為を決して肯定することはできないが、じつは歴史学の世界では落書きは貴重な史料と見なされている。ただの落書きも、時が経てば重要な証言記録に変化するのだ。
■社会風刺の落書き
日本史上最も有名な落書きといえば、「二条河原の落書」だろう。
これは1334年、京都の二条河原付近に掲げられた政治風刺の落書きである。執筆者は今も分かっていない。
此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀綸旨 召人 早馬 虚騒動
この下りから始まる二条河原の落書は、当時政権を握っていた後醍醐天皇に反発するものだ。
後醍醐天皇は鎌倉幕府を討伐した中心人物ではあるが、その政治方針はあまりにも非現実的なものだった。彼は「日本のすべての土地の所有権を、一度リセットする」と宣言。
つまり朝廷の権限を強化するため、元の所有者に改めて後醍醐天皇の名で権利書を発行するというものだ。ところがこの政策のために、全国各地で土地争いが勃発した。
だからこそ「謀綸旨」という単語が入っている。すなわち、天皇の命令書を偽造して土地を我が物にしようという輩が続出したのである。また、「自分は承久の乱で朝廷側に味方したから、その分の土地をよこせ」と要求する者まで現れ、後醍醐天皇も「その要求はもっともだ」と新しい権利書を発行。
そういう経緯から、それまで後醍醐天皇の臣下だった足利尊氏が挙兵した。死を遂げるまで後醍醐側だった楠木正成ですら、「足利尊氏と和睦するべきだ」と主張している。
つまり二条河原の落書は、この当時の大混乱を見事に書き表した文章なのだ。
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■カンボジアに日本の武士が
もうひとつ有名な落書きを挙げれば、「アンコールワットの日本語文章」がある。
これは17世紀、カンボジアにやって来た森本一房という日本の武士が書いたものだ。この森本一房、父はあの加藤清正に仕えた森本一久という武士で、司馬遼太郎の短編作品『覚兵衛物語』にその生涯が詳しく書かれている。
さて、そんな森本一房はアンコールワットに4体の仏像を奉納している。これも彼の落書きから確認できる事実。この時代、日本人が海外に行って帰ってくることは当然ながら稀である。一房は運良く、本格的な鎖国政策が始まる前に帰国を果たすことができた。
そして彼の書いた落書きは、今もアンコールワットの歩んだ歴史を伝える一史料として多くの人の関心を集めている。
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■現代人は「絶対厳禁」
落書きも、長い時間が経過すれば遺跡の一部。上記に挙げたもの以外にも、歴史研究の過程で欠かせない落書きはたくさん存在する。
だが、だからといって現代人が遺跡や歴史的建造物に落書きをするのは許されるものではない。映像の保存技術が確立した今において、落書きはもはや無用の手段となった。さらに現代人の落書きは、先人のそれを消滅させてしまう危険性も。
我々の先祖は、「自分がそこにいた」という痕跡を残すために落書きをした。他に手段はなかったのだ。選択肢に恵まれている現代人と同列に並べることはできない。
「昔の人だって落書きをしていたから、自分もやってみよう!」という発想は、いたずらの言い訳にならないのだ。