【真田丸】戦国期は「特産品ラッシュ」の時代だった
今日放送の『真田丸』には、どうやら真田紐が登場するようだ。
九度山で困窮生活を送る源次郎信繁が、現地で特産品の生産を思いつくというシナリオらしいが、戦国時代は「郷土物産品の開発ラッシュ期」と表現するべき側面を持ち合わせていた。
現代人は忘れているが、化学繊維に一切頼らず丈夫な紐を作るということは相当な苦労を要する。同じ木綿を使ったとしても、その織り方や組み方によって強度に違いが出るのだ。素材自体の強化ができない分、製品には創意工夫がはっきりと現れる。
もちろん、こうした特産品は真田紐だけではない。
■信玄と味噌
武田信玄は、行軍食というものに強いこだわりを持った人物でもあった。
海から離れ、平野がほとんどない山岳地帯で育った甲州兵たちは、常に食料を携帯。缶詰もレトルトパックもない時代、「食料を持ち歩く」ということ自体が高度な技術を要する。
信玄はまず、各地で大豆の栽培を奨励した。大豆は栄養分の少ない土地でも充分に育つ。そしてそこから味噌を生産するのだ。味噌さえあれば、あらゆるものを漬けて長期保存可能の食品を生み出すことができる。
信州味噌も、そもそもは信玄が上杉謙信に対抗するために生産を奨励したものだという。川中島での対陣が長引けば、そこにいる兵士を現地で養わなければならない。そのための第一歩として、味噌は欠かせないものだった。
現代では、それがそのまま北信濃の特産品となっている。
関連記事:【真田丸】名は武士の命 「幸」の一字に秘められた思いとは
■木綿の普及
また、戦国期は繊維産業にも大きな変革が及んだ時期でもある。
この当時、日本で最も普及していた繊維は麻。木綿は一部の上流階級の者のみが身に付ける贅沢品だったのだ。ところが、戦国期に発生した軍用特需により木綿製品の生産が増え、江戸時代には最もスタンダードな繊維になった。
江戸の中頃に出された倹約令に、「質素な木綿製品を使え」という項目がある。18世紀頃には、木綿はすでに「質素なもの」になっていたのだ。また、同時期のヨーロッパから見ても「木綿が質素」という国は驚愕に値した。ヨーロッパでは綿花が生産できず、そのすべてを植民地からの輸入に頼っていたからだ。
関連記事:【真田丸】徳川家康が参考にした「豊臣の善政」とは?
■現代日本の基礎として
戦国期は確かに殺伐とした時代だったが、同時に我が国の地場産業に大きなインパクトを与えた。
戦国期があったからこそ芽生えた文化も数多くあり、それが現代日本の重工業を支える基礎にもなっている。いや、重工業だけではない。なぜ現代日本人は箸と陶器の茶碗で食事をし、畳の上で過ごすのか。そうしたライフスタイルの源流も、中世から端を発するものだ。
我々は、戦国武将たちの創意工夫の上で生活していると言っても過言ではない。
・合わせて読みたい→【真田丸】名は武士の命 「幸」の一字に秘められた思いとは