高知ファイティングドッグスはなぜマニー・ラミレスらの招聘に成功したのか? 梶田社長に聞いた
独立リーグ球団ながら、マニー・ラミレスや藤川球児など超一流選手の招聘に成功した高知ファイティングドッグス。その戦略や背景について、球団創設からの生え抜き選手で現社長の梶田宙氏に話を聞いた。
野球ファンならご存知かもしれないが、高知県は春夏合わせて5回の甲子園優勝を誇る「野球県」だ。
江本孟紀氏(元・プロ野球選手、現・野球解説者)や藤川球児投手(阪神タイガース)など、プロ野球選手も数多く輩出している。
そんな高知県、本拠地を置くセ・リーグ、パ・リーグの球団はないのだが、2005年に発足した独立リーグ『四国アイランドリーグplus』に所属する球団がある。
小さな規模にもかかわらず、全国規模の話題を連発するその球団の名は、『高知ファイティングドッグス』だ。
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■元メジャーリーガー獲得、NPB首位打者も輩出
ファイティングドッグスにまつわるニュースで、今年もっとも話題を呼んだのは、米メジャーリーグ『ボストン・レッドソックス』などで活躍し、首位打者(2002年)や本塁打王(2004年)なども獲得したマニー・ラミレス選手(44)が入団したこと。
また、2015年には同じく大リーグから藤川球児投手(36)が入団。その後、古巣・阪神に移籍したが、大きな注目を集めた。
なぜ、独立リーグに過ぎない高知にこれほど著名な選手が集結するのだろうか。
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■Mr. ファイティングドッグス、梶田社長に聞いた
2014年から球団社長を務める梶田宙氏(34)は、高知ファイティングドッグス創設メンバーのひとり。2005年から球団の「顔」として活躍し、引退までつけていた背番号「0」は、球団初の永久欠番とされた。
選手出身の社長は、独立リーグでも初めてだ。
ファイティングドッグスは、2007年には球団存続が危ぶまれる事態もあり、2012〜13年、15〜16年(前期)と最下位が続いた時期もある。
「いちばん辛かった・大変だった時は?」と尋ねてみたところ…
梶田:大変だったのは初年度、2005年ですね。できたばかりで聞きなれない『独立リーグ』に対して、「お前ら、何者だ?」という雰囲気もありました。試合開始前には、ギリギリまで自分たちでビラ配りをしたものです。
リーグ代表だった石毛宏典さん(元・プロ野球選手、
創設から一貫して苦労してきたチームを引っ張ることで、乗り越えられた部分も大きいのだろう。
梶田:よくここまで認知されたな、と感じています。高知からNPB(日本野球機構)入りした角中勝也(現・ロッテ/2006年ドラフト7位)がNPBで2回も首位打者をとってくれたのは選手たちの評価にもつながるし、「いつかは角中さんみたいな1億円プレイヤーに!」とNPBをめざす夢や希望につながっています。