親友ウエンツの支えも…あの人気芸人が人知れず落語家に“転職”したワケとは?
こんにちは、双子でタレント活動をしています、奈津子と亜希子です。
春は新生活がはじまる季節。新社会人のみなさんだけでなく、“転職”で新しい環境になる人も少なくないでしょう。ということで今回は、お笑い芸人として12年のキャリアを積んだ後、落語家へと“転職”した三遊亭とむさんにお話を伺いました。
画像をもっと見る■スピードワゴン・井戸田さんからの一言
とむさんは、16歳の時にホリプロお笑い部門に所属し、「末高斗夢」という芸名で芸人になりました。日本テレビ系列のドラマ『野ブタをプロデュース。』や、情報番組『ラジかるっ!』にレギュラー出演するなど、人気を獲得します。
当時の芸風は、大きなドラムバックからオタマと下駄を取り出して「おったまげた~」などとダジャレを連発し、周りが凍り付いたところへ速やかに自分でフォローをいれるスタイル。レポーターとしても様々な番組に出演していました。
楽しくてひたすら夢中でやっていたネタですが、ある時先輩のスピードワゴン・井戸田さんから、「最近のおまえ、楽しんでないんじゃないか」と言われてハッとしたそう。悩む日々が続きます。
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■忘れられない出来事
しばらくして東日本大震災が発生。いてもたってもいられず、芸人仲間で集まり被災地へボランティアに行くことにしたそうです。支援物資などを届け、現地の皆さんの前でネタを披露することに。
マギー審司さんなどがネタを披露して笑いをとっていくなか、自分の番となり、いつものネタを披露。しかし、全然ウケずに、むしろお客さんから「頑張れ」と真顔で言われてしまい、逆に励まされたそうです。これを機に、はっきりと「変わらなければ」と思ったといいます。
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■弟子入り志願はたったの3言!?
それからすぐに、三遊亭好楽師匠のもとに入門。
面談では師匠から「お酒呑める?」と聞かれ、「呑めます」と答えたところ、「いいねぇ」と言われ入門が決定。この日から、自分でネタを考える芸人を辞め、伝統的な古典がメインの落語家に。芸名も変え、「笑い」との向き合い方を変える決心をしたのです。
現在、落語家として4年が経ち“二ツ目”に昇進した三遊亭とむさん。お話を聞いてみました。
― 落語家に転身して良かったですか?
「良かったですね。お客様からの声援と、親友のウエンツ瑛士くんが支えてくれたことが大きいです。弟子時代は、師匠の自宅の掃除、送り迎え、着物の着付けやたたみ、お茶だし、チラシの折り込み、打ち上げでは師匠とお客様への対応など、完璧にこなさなければなりません。
しかしこれは、【目の前の師匠ひとりも喜ばせられない人間が大勢のお客様を喜ばすことはできない】という考えにのっとったもの。確かに我を消して他人のために奉仕することで、やらなければならないことが隅々まで見えてくるんです」
― 芸人さんと落語家さんの大きな違いってなんですか?
「下積み時代だけで考えれば、駆け出しの芸人時代よりは落語家としての弟子の時のほうが経済的に安定していたと思います。芸人のときは舞台に出演してもギャラが数百円なんて時がありましたし。その点、弟子は師匠についていれば食事が安定してもらえるのと、寄席にでれば給金をいただけます。
ただ、落語家としてある程度生活が安定した今ですが、末高斗夢としてレギュラー番組を何本かやらせてもらっていた時のマックスの年収にはまだ達していませんね。また、出演時間については、芸人の最初の時は3~4分でしたが、落語は前座として新人でも約15~20分もらえます」
― 今後の野望は?
「落語の魅力は、着物と扇子と座布団だけで様々な時代や世界へ連れて行くことができる点です。エンターテイメントや景気の周期は長くても50年といわれているのに、それを優に超えているんです。定年がないから90歳でも大活躍している先輩がいるし、自分もそんな風に人生を通して落語の魅力を1人でも多くの方に伝えていきたいです。
『笑点』などの有名なテレビ番組にももちろん出演したいですが、まずは質のいい舞台をこなしていき、お客様の感情を肌で感じていきたい。そしていつか、真打昇進の披露目を武道館でしたいです」
好きなことに一生懸命向き合っても、なかなか上手くいかない…。そんな時、思い切ってそのことへの向き合い方を変えれば、また違った見方、また違った目標が見つかるのかもしれません。
新天地で活動をする全ての人にとって、三遊亭とむさんの経験は参考になるのではないでしょうか。
(文/奈津子・亜希子)