すべての猫は『吾輩は猫である』につながっている?【芥川奈於の「いまさら文学」】
■あらすじ
珍野家に辿り着いた捨て猫・吾輩。彼は自分で自分のことをそう呼ぶ。
吾輩の趣味は人間観察であり、センスがないのに芸術に手を出す主人の苦沙弥(くしゃみ)や、それを取り巻く多くの面白くもつまらない人々を見ているのが好きだった。
珍野家にやってくる門下生や友人を、吾輩は『太平の逸民』と呼び、多くの経験を味わう。
そして様々な体験をさせてくれる珍野家に人々に感謝する。
晩年、『死』について考えた吾輩はビールを飲み、水瓶で溺れ、自分も『太平へと入っていく』事を悟るのだった。
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■全てはキャラクター作りから! という『漫画的』視点
この作品の主人公は著者・漱石とその飼い猫がモデルになっている。
そして、鬱になりロンドンから帰国した漱石が思いを爆発させた、『猫目線での物語』という、当時では斬新な手法を取っている開拓作品でもある。身近なものがモチーフになっているあたり、思い入れも強かったのではないか。
その他の登場人物も多数モデルがおり、『ほら吹き』『色男』『詩人』、そして何でも金で解決する『金田』などなど、まるで名作『ガンバの冒険』のネズミたちのように色分け・個性付けがはっきりとされている。
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そして猫が自分を『吾輩』と名乗るところや『~名前はまだない。』の有名なくだりを知らない人は少ないだろう。
これは愛らしくも勇ましいキャラクターが、例えば、『海賊王に俺はなる!』などの名台詞を生む昨今の漫画にも通じている気がする。
『吾輩』は最期、水瓶に落ちて死んでしまうのだが、漱石の飼っていた黒猫も本作が完結してから数年後に亡くなった。この悲しいエピソードもまた、何だか漫画のようでもある。
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■明治時代の『今日の猫〇さん』?
全ての道はローマに通ずる。そして全ての猫は吾輩に通ずるのである。
吾輩の生きがいは人間観察だ。人間は髪をわざわざ伸ばしてみたり、食事を「作って」食べてみたり、誰のものでもない土地を自分の所有物だと言ったり、本当に当たり前のことを本当におもしろく、くだらない独自の目線で眺めている。
猫を飼っている方ならわかるかもしれないが、多くの猫たちはこの『吾輩』と同じような行動をする。
出掛けるのに大慌てで支度をしていると、何をやっているのだか、と阿呆らしそうに眺めているし、TVでフィギュアスケートの放送を観ていれば、何が起こっているのだろうと不思議そうに考え込んだりする。
きっと彼らの心の中では、多くの疑問、そして独自の解釈をしているのだろうと思うと、愛しくてたまらなくなる。
「人間っておかしな生き物よね~」と、あの人気漫画の家政婦猫も、きっと常に考えていることだろう。
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■そんな「吾輩は猫である」を読みたくなったら…
ご自分が猫を飼っていたら、愛猫と『吾輩』を比べてみるのも楽しいかもしれない。
また、吾輩のように…
死ぬことが『万物の定業で生きていることもあまり役に立たぬなら、早くあの世へいくことの方が賢いのだろうか』
と、自分の猫も考えていたらどうしよう? などと妄想するのもおもしろい。(くれぐれもご自分の心の調子がいいときに限るが)。
今まさに到来している猫ブームに乗って、猫嫌いな方もぜひトライしてほしいと猫依存症の筆者は切に願う。
(文/芥川 奈於)