リニューアル3か月「アタック25」三代目司会・谷原の仕事に変化が!?
番組開始から40年を誇る視聴者参加型老舗クイズ番組『パネルクイズアタック25』。2015年4月に番組がリニューアルし、司会者が変わってから早や3ヶ月。
1クールが無事に終わったところで、ここまでの三代目司会・谷原章介の仕事ぶりを振り返ってみたい。
■リニューアル直後は、正直つまらなかった…
司会交代直後の谷原は、とにかく余裕がなかった。王様のブランチなど司会経験は積んで来ている谷原も、クイズ番組はさすがに勝手の違う世界。
しかもアタック25は、司会者が正誤判定も行いつつ、戦況を誰よりも把握する必要がある難易度の高い仕事。
まずは進行するのが精一杯で、最初は谷原から余裕あるコメントが一切出てこなかった(せいぜい子沢山の出場者に対して自分も子沢山アピールしたくらい)。
大きなミスこそなかったが、正直このときのアタック25は淡々と進行が進み過ぎて、つまらない印象であった。
そして、リニューアル後1ヶ月ほどで、徐々に谷原も慣れて来た4月下旬。司会自体は少し余裕が出て来たものの、大きな問題が起こっていることに気づいた。
谷原が出場者に甘いのである。
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■まるで学級崩壊した教室状態に!?
アタック25の司会者といえば、初代・児玉清からの伝統として、出場者に対してかなり厳しいコメントをすることで有名である。
出場者がせっかくカドが取れるのに逃すなど、ミスをした際は「なぜ、カドをとらない!」と叱責されるのが普通であり、それが番組の緊張感につながっていた。
ところが谷原は、カドを取れるのに取らない、みすみすタダ取りされるような場所を取るなど、出場者のミスをへらへらと笑って許していた。
「次、がんばりましょうね」と笑うたびに、出場者の緊張感は無くなり、ミスにミスを繰り返す凡戦が続いた。
この頃のアタック25は、担任教師が怖い先生から優しい先生に変わって、学級崩壊した教室を見ているようだった。
山下毅雄作曲のテーマ曲もアレンジが軽くなり、地中海挑戦権クイズのかつての追い込むようなラスト「でーでーでーでーーー」も上品な感じに変更。
出場者がプレッシャーに追い込まれながらギリギリの判断をするアタック25の醍醐味は、失われてしまうのか、このときはそう感じざるを得なかった。
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■「いい兄貴分」として機能。盛り上がりに変化
しかし6月に入ったあたりから谷原は変わる。出場者を積極的にいじりだし、そして熱血漢的に鼓舞するようになってきたのだ。
とくに自分より年下の出場者が続いた6月上旬は、彼女募集中の男性出場者がいれば「ほら、ここでアピールしなきゃ」と冷やかすなど、出場者のキャラを引き立てることにかなり注力していたように思う。
これにより谷原は、アメリカ横断ウルトラクイズ全盛期の福留功男のような、出場者全員の「いい兄貴分」として機能し始めた。
また、この時期は、出場者が実力伯仲で接戦になることが多く、1問1問気の抜けない展開が増えた。
ここで谷原が使い始めたのが、「正解じらしプレイ」である。
たとえば、ここで緑が正解すればいっきに逆転、三択問題で緑が勝負に出て半分勘で答えた、といったシチュエーションのときに、谷原は意図的に1秒くらい正解判定を遅らせるのである。
過去クイズ番組でもよく使われて来たこの手法を、毎回ここぞというときに使うことで、比較的淡々と進みがちだったアタック25にテレビ的な盛り上がりを導入したのだ。
さらには、これまで勝敗に関係ない人は無視されがちだった終盤についても「1枚1万円もらえますから頑張ってくださいね」と話すようになった。
児玉清時代は、勝ち目が無くなった人は空気を読んで最後の問題答えるなよ的雰囲気があったが、谷原が「1枚1万円」を強調することで終盤のドラマに展開の幅が出たのだ。
アタック25に緊張感を求める層からは、今の谷原司会はまだぬるいと感じるかもしれない。
しかし、谷原章介は、アタック25は厳しくあるべきという呪縛から脱して、新たなアタック25を作り始めている。
ようやく自分の色を出し始めた谷原アタック25。引き続き見守って行きたい。
(文/前川ヤスタカ)