「イチローなのに」なんて言える?ことわざにひそむ残酷さ【黒田勇樹の妄想的語源しらべぇ】
「鈍感力」という言葉を覚えてから、「自分が無神経な言動をするのは、相手を気づかっているからだ」と、心の中で最悪な言い訳をしている、俳優/ハイパーメディアフリーターの黒田勇樹です。こんにちは。
このコラムでは、子供のころから芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、さまざまな「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べ、妄想をふくらませていこうと思います。
この連載の中で、今までも何度か取り上げてきた「ことわざ」。
もちろん、言葉について考える連載なので、「ことばのわざ」である「ことわざ」は無視できないものです。しかし筆者は、この「ことわざ」があまりにも身近になりすぎて「人を傷つけるもの」になってしまっているのではないか、と危惧しています。
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■「猿も木から落ちる」
©iStock/real_shi
木から落ちた時の猿の気持ち、考えたことありますか? 木登りが得意という、アイデンティティ全てを否定されているんですよ?
「カッパの川流れ」も、そうです。
泳ぎが得意で売ってきた、カッパが、川に流されているときの気持ち、考えたことありますか? これはもはや、架空のゴシップですよ!
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■「猿も木から落ちる」→「イチローも打てない」!?
画像出典:Amazon
カッパも猿も身近な存在ではないので、簡単に例え話として使われますが、これが身近なものや現代で活躍している人物に対してだったらどうでしょうか?
「イチローも打てない」「羽生も回れずに転ぶ」
このようなことを、本人に向かって言えると思いますか!?
ものすごいプレッシャーの中で戦っている、プロスポーツ選手にこんなこと言ったら、本人たちがどれだけ傷つくかことか。それは、私たちの想像を超えるものなのではないでしょうか?
カッパもそう、猿もそう。真剣勝負をしているヤツらを、簡単に卑下してしまうのはどうなのでしょうか?
弘法大師にいたっては、長年修行してきた結果、たった一度だけ字を書き間違えたくらいで、「弘法にも筆の誤り」などと否定され、心の底から傷ついていると思います。
他人であったり、想像上の生き物であったり、遠い昔の故人であったり、精神的距離が遠い人物に対しては、ついつい簡単にゴシップを発信してしまいがちです。
しかし、いったん相手の気持ちを考えてから、口に出してみてはどうでしょう? 少しだけ、優しい気持ちになれますよ?
(文/ハイパーメディアフリーター・黒田勇樹)