現代だけじゃなかった!森鴎外も子供に『キラキラネーム』をつけていたことが判明!
たまに結婚相手も決まっていないのに「子供の名前をもう決めている」という人がいますよね。名前というものは基本的に一生変えられないため、子供を名付けるときには多くの人が相当考えるのではと思います。
近頃は「考えすぎ!」とツッコみたくなるような読み方や漢字を使った名前をチラホラ見かけます。奇抜な名前のことを一般的には、「キラキラネーム」もしくは「DQNネーム(どきゅんネーム)」と呼ぶそうです。2014年に人気だったキラキラネームの例を挙げると、
「苺愛(いちあ、べりーあ)」
「黄熊(ぷう)」
「希星(きらら、きてぃ)」
「今鹿(なうしか)」
「姫愛(きゅあ、てぃあら)」
「本気(まじ、りある)」
など学校の先生が名簿を見たときに困ってしまうような名前が並んでいます。ほかにも、「今鹿」と書いて、「なうしか」と読むといったものもあり、まさに「なう」なネーミングセンスです。これを見ると「最近の若者は…」とため息が出てしまう人もいるかもしれませんね。
しかし、本当にこのようなキラキラネームは最近になって現われたものなのでしょうか? そこで今回は、「昔にも現代のようなキラキラネームは存在していたのか」ということを調べてみました。すると、あの偉人が子供に素敵なキラキラネームをつけていたことが判明しました!
ご紹介します。
■森鴎外の子供がキラキラネーム
日本の明治・大正期の小説家として有名な森鴎外の子供は「於菟(おと)」、「茉莉(まり)」、「杏奴(あんぬ)」、「不律(ふりつ)」、「類(るい)」とのこと。これは先ほど例に挙げた現代のキラキラネームと一緒に並べても馴染んでしまいそうです。
なぜ、森鴎外はこの時代にこのようなちょっと変わった名前をつけたのでしょうか? その理由は、森鴎外自身のドイツ留学体験の影響から。留学先で本名である「林太郎(りんたろう)」を正確に発音してもらえずに、かなり苦労したんだそうです。そのことがきっかけで、国際社会化する将来に備え子供たちに欧米風のキラキラネームをつけたとのこと。世界に羽ばたいて欲しいという願いが込められていたのでしょうね。
「就職に不利になる」「名付けられた子供がかわいそう」などの批判的な声もある「キラキラネーム」ですが、森鴎外のような意図があれば、ちょっと見直されるのではと思います。しかし、森鴎外の子供に続かず、キラキラネームが流行らなかった様子から推測すると、もしかしたら当時も批判的な声が多かったのかもしれませんね…。
(文/しらべぇ編集部・八木彩香)