【川奈まり子の実話系怪談コラム・第二十三夜】けいこちゃん
静岡県出身の鈴木さんは、何年か前まで、父方の親戚の子供の数を、ひとり多く勘違いしていたそうだ。
ひと口に子供と言っても、姪もいれば甥もおり、歳の離れたいとこやはとこ、その子供たちもいる。鈴木さんの父親は六人兄弟であり、伯父や伯母たちにも子だくさんの傾向があって、親戚が多いのだ。
鈴木さんは現在二十六歳になるが、物心ついた頃から、ほとんど毎年、お盆の頃には家族揃って必ず静岡の父の実家に泊まりがけで行って、同じように家族連れで来ている親族一同と一緒に、先祖の墓に参ってきた。
「小一か小二ぐらいまでは、その子のことを従妹だと思っていました」
最初に会ったのは、たぶん墓参りのときだったという。
三十人以上もいるかという大集団でぞろぞろと墓地の小路を歩いていた折に、鈴木さんの前を行く父や伯母たちの間から、おかっぱ頭の幼児がひょいと飛びだしてきた。三、四歳の女の子だった。そのぐらいの従妹はたくさんいたので、そのうちのひとりだろうと思った。
「私に近づいてきたので、手をつないで歩きました。そのとき何か会話したと思うんですが、話したことなんて、もう憶えてません。でも、ひとなつこい、可愛い子だったんですよ。それが、その女の子との最初の思い出です」
その後も、祖父母の家に行くたびに、その子に会った。会えば、仲良く遊んであげた。女の子と鈴木さんの二人だけで遊ぶのではなく、他の親戚の子たちもいっしょにトランプや鬼ごっこなどをしたこともある。
一緒にそうめんや西瓜を食べたことだってあるのだという。
「でも、そのうち、従妹にしては小さすぎるなと思うようになりました」
鈴木さん自身、いつしか思春期を迎える年ごろになった。幼稚園児だった従妹たちは小学生になり、赤ん坊だった従姉や従兄の子たちも立って歩きはじめた。
「そこで、私は、あの女の子は、結婚してるいとこかはとこのうちの誰かの子だったんだ、と考え直したんです」
ずいぶん大雑把だ、と鈴木さんは今にして思えば我ながら呆れると苦笑していたが、年に一度しか顔を合わせることもない親戚の子のことだ。次の夏が巡ってくるまでには、顔も忘れてしまう。
「名前は、憶えていたんですけどね。けいこちゃんというんです」
いつだったか、「けいこちゃん」と、その子が名乗ったのだという。
「初対面のときだったか、二度目に会ったときだったか……思い出すことは出来ませんが、あちらから教えてくれたような気がします」
中一になった頃から、鈴木さんは、祖父の家でけいこちゃんを見かけても、遊んでやらなくなった。歳の近い子たちと語らったり、独りで本を読んだりする方が楽しかった。台所で母や伯母たちを手伝うことも多くなった。
けいこちゃんは、相変わらず、みんなの間をうろちょろしていた。いつも機嫌がよさそうで、泣いているところは見たことがなかった。
中二から高校を卒業して専門学校に入るまでの六年間は、受験や部活動のために、静岡の父の実家に行くことを中断した。けいこちゃんに再会したのは、十九歳のときだった。そのとき初めて、これは異常なことだと気がついた
――久しぶりに会ったけいこちゃんが、少しも成長していなかったので。ちゃぶ台の下へ潜って独りで遊んでいたけいこちゃんに、鈴木さんは訊ねた。
「けいこちゃんのお母さんは、誰?」
何人かの叔母や従姉の名前を出して質問したが、けいこちゃんは首を横に振るばかりだった。 そして、部屋の外を指さした。 そちらには縁側があり、庭と隣家の軒が見えていた。
「だから、お隣のうちの子なのかな、と……。前に会ったことのあるけいこちゃんと、この子は別の子かもしれないと思いました。だったら、小さな子であってもおかしくないわけなので」
そのうち、けいこちゃんはとことこと駆け出して、縁側から庭に下り、どこへ行ってしまったので、鈴木さんは、やはりお隣の子だったのだと確信した。
それから今年の夏までは、けいこちゃんを見かけたり見かけなかったりしたが、あまり気に留めることもなかったという。
この夏のお盆も、鈴木さんは家族と一緒に祖父母の家へ行った。鈴木さんには三つ年上の結婚している姉がいて、その姉夫婦に去年の秋、第一子が授かっていた。
その赤ん坊を初めて連れていくというので、鈴木さんたち一家はおおわらわだった。
「私は直前まで仕事が忙しくて、夏バテも酷く、貧血気味でした。そこで墓参りには参加せず、赤ん坊と留守番することにさせてもらったんです。
墓参りの後で全員でお蕎麦屋さんに行くことになっていて、それを姉が楽しみにしていたので、おねえちゃんは行っといでと言って送り出しました」
鈴木さんは、これまでにも何度も、姉夫婦の赤ん坊の面倒を見たことがあった。おむつ交換も、哺乳瓶でミルクをやるのも、朝飯前だった。
姉が行ってしまうと、途端に赤ん坊は泣きだしたが、ミルクをやりながらあやしていたら、やがて眠りはじめた。布団で眠る赤ん坊の横に座布団を敷き、鈴木さんも横になった。
「うつらうつらしていたら、後ろで足音がして、目が覚めました。寝ぼけて、みんながお蕎麦屋さんから帰ってきたのかもしれないと思って、おかえりぃと言いながら振り返りました」
しかし、そこに居たのは、けいこちゃんだった。ひとりで佇んでいたという。
「ゾッとしました。だってやっぱり成長してないんだもの。変ですよ」
けいこちゃんは赤ん坊を眺めていた。 鈴木さんは、赤ん坊を守らなければ、と咄嗟に思い、赤ん坊を背に隠して、怖いのを我慢して、けいこちゃんと真正面から対峙した。
「祖父母の家は、昭和三十年ぐらいに建てられたうちで、古いんです。そのとき、私が生まれるずっと前からある柱時計が、ボーンボーンと十二回鳴りました。それで、正午なんだとわかりました」
畳に障子の影が落ちていた。外は、目が眩むほど明るかった。
「それまでも、けいこちゃんは、ちっとも、オバケのようではありませんでした。あのときも、やっぱり、ふつうの子みたいでした。でも、足もとに影がありませんでした。そのせいで、畳から一センチぐらい浮いているように見えました」
セミの声が騒がしかった。赤ん坊はすやすや寝ている。けいこちゃん以外、何もかもが正常な世界だった。鈴木さんは、勇気をふるって、けいこちゃんに話しかけた。
「帰って、と言いました。お願い、けいこちゃん、帰って……って」
すると、けいこちゃんはコクンとうなずいた。
「わかった、と私の目を見て応えました。そして、すぐに縁側の方へ歩きだして、縁側のところで振り返って、ちょっと寂そうに、バイバイと手を振ってくれました。
私は急にけいこちゃんがかわいそうになって、立ちあがって後を追いながら、さようならって声を掛けました。でも、けいこちゃんはもう振り返りませんでした」
けいこちゃんの背中を、鈴木さんは縁側から見送った。小さな姿は、生垣に向かっていって、繁る緑の葉の中に吸いこまれるように消えてしまった。 もう二度と会えないような気がする、と、鈴木さんは話を結んだ。
(文/川奈まり子)