【大相撲】部屋別優勝回数を分析 No.1誇る九重部屋、92年間優勝なしの部屋も…

2014/11/27 21:00


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大相撲九州場所は、第69代横綱・白鵬が歴代1位タイとなる32回目の優勝(幕内最高優勝)で幕を閉じ、2015年の記録更新はほぼ確実だ。

さて、部屋別の優勝力士を調べたところ、九重部屋が第1位で、しかも様々な記録の上位に名を連ねている。

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 ■92年間、優勝から遠ざかっている部屋があった!!

しらべぇ1127力士2角界は1909年から優勝制度を確立し、115年間で33の部屋が美酒を味わった。

2014年九州場所終了後、もっとも多いのが先述した九重部屋の51回で、優勝力士の最高位は、すべて大関以上というハイレベルも特徴だ。特に1985年秋場所から1987年春場所まで、九重10連覇(千代の富士8回、北勝海2回〔初優勝時の四股名は保志〕)という、部屋別連覇1位タイ記録を誇る。

2位は出羽海部屋の48回。1位から6位までの部屋で、唯一優勝20回以上の力士はいないが、9人の横綱を輩出した名門である。1917年春場所から1921年夏場所(当時年2場所制)まで、出羽海10連覇(栃木山5回、大錦4回、常ノ花1回)を記録した。

優勝からもっとも遠ざかっているのは荒磯部屋で、1922年春場所の鶴ケ濱以来、92年間なし。現在は部屋もないので、記録の更新が続く。

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 ■九重部屋の歴史

九重部屋は1967年初場所後、第41代横綱・千代の山の“九重親方”が出羽海部屋から独立した。当時の出羽海部屋は“分家独立”を認めない方針だったので、出羽海一門から破門され、高砂一門の部屋として誕生する。

部屋創立初の本場所となった同年春場所、大関北の富士が14勝1敗で初優勝し、第48代横綱大鵬の7連覇を阻止。3年後、第52代横綱に推挙される。引退後は年寄井筒を襲名し、井筒部屋(現在の井筒部屋は、当時「君ヶ濱部屋」)を興した。

1977年10月29日、千代の山が51歳の若さで急逝し、九重部屋は井筒部屋との吸収合併により、北の富士が引き継いだ。その後、千代の富士が第58代横綱、北勝海が第61代横綱にそれぞれ推挙され、黄金時代を築く。参考までに1985年から1990年まで、九重部屋以外の力士が優勝したのは、わずか8場所しかない。

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1992年4月1日より、前年の夏場所で引退した千代の富士が九重部屋を引き継ぐ。同年秋、千代大海が入門し、1997年秋場所の新入幕からわずか9場所で初優勝

しかも、千秋楽で第66代横綱・3代目若乃花に追いつき、優勝決定戦で逆転するという、劇的な幕切れだった。これにより、部屋別優勝回数単独1位を樹立するとともに、大関に昇進した。

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 ■九重部屋力士の上位記録

九重部屋の力士が打ち立てた記録(上位3位以内)を表にまとめてみた。

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千代の富士の記録で1位が少ないのは、通算勝利数と幕内勝利数を魁皇に更新されたため。横綱在位と優勝回数などは、あと一歩及ばなかった。特筆すべきなのは、1989年秋場所後、角界初の国民栄誉賞(史上8人目)を受賞し、大相撲の歴史に金字塔を打ち立てた。

千代大海は、魁皇とともに大関在位1位。素晴らしい記録ではあるが、ともに賜杯を2度以上抱きながら、横綱には届かなかった不運な側面も持つ。

蛇足ながら、千代大海は大分県大分市出身だが、生まれは北海道千歳市富丘で、6歳まで暮らしていたという。九重部屋の優勝力士は、全員“道産子”でもある。


■参考資料
『大相撲中継』2005年九州場所(NHK出版刊)
『【平成26年度】大相撲力士名鑑』(ベースボール・マガジン社刊)
『突っ張り』(千代大海龍二著、東京新聞出版局刊)

(写真・文/しらべぇ編集部・岸田法眼

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