【黒田勇樹の妄想的語源しらべぇ】「名前」という言葉の謎
しらべぇ読者のみなさん、最近、俳優全盛期の体重に戻りつつあるハイパーメディアフリーター・黒田勇樹です。
このコラムでは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べ、妄想をふくらませていこうと思います。
昔、自称宇宙人の方とお話をしたことがあるのですが、「ピロピロピロ、ポロポロポロ」と「とりあえずパピプペポ多めに言っとけばいいや」という気持ちが、溢れ出て伝わってくるような「パフォーマンス」でした。印象に残っているのが、その時に同席していた学者さんの言葉。
「どれが動詞で、どれが名詞ですか?このふたつが区別できなければ、言語として成立しませんよ?」
ピロピロ言っておけばいいのに、宇宙人は全く言い返せませんでした。
「なるほどな」と感嘆した当時12才の筆者は、それから「動詞」「名詞」をかなり意識して生活するようになったのですが、最も面白いと思っているのが、「名前」という言葉自体が「名詞」であること。
その「名前」という「名詞」が生まれた時こそが、「言葉」の生まれた瞬間なんではないだろうかと考えるようになりました。
「名前」を意味する言葉が、アメリカでは「ネーム」インドネシアでは「ナム」、フランスでは「nom」と書いて「ノン(鼻母音“ン”がちょっとムに近い)」と発音、マラーティー語では「नाव」と、どれもかなり響きが似ているのも気になります。
「はじめまして」なんてドイツ語で言ったら「イッヒ フロイエ ミッヒ ジー ケネンツーレルネン」ですよ!?響きも長さも全然違います。それなのにドイツ語でも「名前」は「ナーム」。やはり響きが似ています。
どうして「名前」を現す言葉はここまで響きが似るのでしょうか?
「な」と「む」
仏教の「南無」を、はじめとして宗教用語でもよく聞く響きです。キリスト教の「アーメン」も、閉口した状態から発音してみると、「ナーメン」と聞こえなくもありません。
一説には、発音しやすいため原始的な言語、または広く使われる言葉(宗教で言えば布教した時に、言葉が違う人種や言葉を持たない人種にも覚えさせやすい)には、この音が使われることが多いそうですが、なぜここまで「な」「む」なのでしょうか?
答えは簡単でした!時代劇を想像して下さい。
驚く侍A「な!?」
身構える侍B「む!?」
本能的に、「な」は驚いた時に咄嗟に出る音、「む」は身を守ろうとするときに出る音なのではないでしょうか?
そう考えれば、原始人たちが初めての人物との出会い頭で「な!?」「む!」と言い合ううちに、それが「お前は誰だ」という意味に進化し、「な」「む」と確認し合ったあとに「俺は○○だ」と名乗る文化が生まれるのは自然な流れです。
時代劇を見ていれば、言葉の成り立ちがわかる。そんな考察でした。
(文/ハイパーメディアフリーター・黒田勇樹)