メタル一筋で還暦を迎えた男 ANTHEM・柴田直人の自伝が新事実満載でスゴすぎる

ジャパニーズ・メタルの重鎮、ANTHEMの柴田直人がその前半生を語った自伝を出版。

2018/07/06 11:00



■メタルバンドに珍しい「解散ライブ盤」

柴田直人
(©Mikio Ariga)

常見: ANTHEMが何度かのメンバーチェンジをしつつも、解散に至るまでの流れを読んでいて、胸にグサグサときました。バンドを続けるために、試行錯誤を繰り返しつつ、最後は燃え尽きるという…。私、高校時代に解散ライブのCDを何度も聴いて泣きました。


柴田:あぁ…あれは契約の関係上出さざるを得なかったアイテムでした。僕は制作には一切関わっていないんですよ。当初はスタッフから「ホールツアーをやってくれ」と言われ、断ったら、「渋谷公会堂でやってくれ」と。


それも断ったら、音源の契約があと1枚あるから日清パワーステーションで解散ライブ盤の収録を兼ねてやってくれないか?という話になったんです。


常見:ふと気づいたんですけど、日本のメタルバンドは意外にも解散ライブをやってないんです。だから、解散ライブ盤は珍しいですよ。VOW WOWもEARTHSHAKERも44MAGNUMもREACTIONもDEAD ENDも解散ライブを正式にはやっていないし、解散ライブ盤はないのです。


解散ライブ盤『LAST ANTHEM』はバンドも、観客も最初からテンションが尋常じゃないんですよ。失礼ですけど、演奏力が高いことで知られるANTHEMなのに、最初の『SHOUT IT OUT!』から走っているし、『HEADSTRONG』も過去最速の速さで。


でも、それが逆に熱くて、時に痛くて…。最後は観客の悲鳴のようなANTHEMコールで終わるという。


柴田:あの夜はライブが終わったらすぐに会場を後にしたかったんですけど。おかげさまで、来客が多くて、楽屋にたくさんの人が挨拶にきてくれました。とくに樋口宗孝君やSHARAとも楽屋でしっかり話しましたね。


その後、元ローディーと一緒に楽屋を出て、バンドとは関係のない友達と朝まで飲んで、最後はわざわざ吉祥寺まで移動してラーメンを食べたのを覚えています。


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■解散後はアルバイトしながら作曲家を目指す

常見:この本で初めて明かされた衝撃の事実は、ANTHEMを辞めた後、作曲家を目指しながら、アルバイトもしていたという…。


柴田:はい。もうバンドはやめて作曲家を目指すわけですから、まったく当然のことだと自分に言い聞かせていました。


神田にある理化学関連の問屋で朝から夕方までアルバイトをして、2〜3時間だけ仮眠をとってからほぼ徹夜をして作曲をする日々を送っていました。本気で作曲家を目指すならそこまでやらなくてはと思ったんです。弱い自分を蹴り上げるためですね。


アルバイト生活もそうですが、何事も放り投げ出さずにやり切って自分の弱さを乗り越えようと思っていました。睡眠時間も短かったんですけど、曲を作ってはビーイングに持ち込むということをしばらく繰り返していましたね。


常見:そこまでしていたとは…。


柴田:でも、この時の経験は、今に活きていて、曲作りの本質に迫ることができましたね。リフやメロディ、曲が生まれていく時の粘りどきを学んだように思います。


■「僕の人生の前半戦のまとめ」

常見:この本は、ANTHEMが再結成するところで終わっています。その後もご自身の癌や、メンバーチェンジなど、いろいろなことがありましたよね…。


柴田:この本はそういう意味で、僕の人生の前半戦のまとめであって。別に成功者の話なんかではありません。僕だっていつも何度も悩んでいます。僕が何と闘って生きてきたのかをこの自伝を読んで感じていただけたら嬉しいですね。


常見:これは、ANTHEMのファンだけなく、多くの人にとって人生のエールになる本ですよ。後輩ミュージシャンたちも勇気づけられるのではないかと思います。


だって、日本のメタルのてっぺんにいる人が、これだけ赤裸々に、正直に自己開示したんですから…。今日はありがとうございました。

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(取材・文/しらべぇ編集部・Sirabee編集部 写真(対談時のもの):新藤健太・松田主水・山内寛也)

常見陽平
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