西日本は牛肉、東日本は豚肉が主流な理由は歴史にあり チコちゃんが徹底解説
『チコちゃんに叱られる』で関東と関西の肉文化が異なる理由を解説。歴史と密接に関係していた。
■文明開化で…
時は経ち、江戸時代末期には開国によって日本に外国人が押し寄せた。食肉文化の外国人たちは、日本で肉料理を楽しむと、文明開化の象徴として、横浜などで流行。
1862年には、横浜に初の牛鍋屋ができたり、福沢諭吉が「牛肉は滋養に良い」と言ったこともあり、牛鍋が流行。こうして日本中に牛肉を食べる文化が広まった。
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■豚は戦後に大活躍
明治5年、政府主導で西洋式の養豚法を取り入れるが、牛肉ほどは広まらなかった。この後、日清戦争日露戦争と大きな2つの戦争で軍隊の食料に牛肉の缶詰が採用され、東日本で牛肉は一気に品薄となった。窮地を救ったのが豚だったのだ。
残飯が多かった都市部に豚の雑食性があっており、とんかつなどの豚肉の定番料理が誕生したことで需要が一気に上がった。さらに、決定的になったのが終戦。その際、日本で国民に対し、栄養価の高い肉を提供したい時に豚が役に立った。
豚は食用として育つまで6ヶ月と牛に比べかなり早く、繁殖力に優れていたため、東日本に広まった。西日本では、古来からの牛の文化が定着していたため、豚が流行することはなかったようだ。
肉は、日本の文化とも密接に関係していた。食料の歴史は歴史の動きを知る上で面白い題材になるのかもしれない。
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(文/しらべぇ編集部・Aomi)