令和に変化するお笑い界 たんぽぽ・川村エミコ「自虐で笑ってもらえるのは幸せ」
「お笑いジェンヌ」になるべく、お笑いの道へ進んだ川村エミコ。彼女が感じるお笑い界の変化とは。
■川村が思う「好き」の見つけ方
―――「心を逃す」という考え方は当時からお持ちだったのですか?
川村:当時はそのように考えていたわけではなくて、自然とそうしていました。今思えばそうだったなと。心もタフだったのかもしれません。
公文のときは公文の課題に没頭できるタイプで、大人になってからもバイトに行くまではすごく行きたくないんだけど、行ったら過酷でも楽しめちゃう。昔からその気質があったので、ネガティブだったけど良い性格だったと思います。
―――辛いことを忘れられるくらい夢中になって没頭できるものを、まだ見つけられていない人もいるのかなと思います。川村さんはいろいろな「好き」を上手く見つけてきたわけですが、どうやって「好き」を見つけることができると思いますか?
川村:素通りしてしまうのかしないのかは自分次第で、感度が良くなることが大事なのかなと思います。食べることが大好きな人は多いと思うんですけど、それでいいんだと思います。
この食べ物は美味しいな、これはどんなところで作っているんだろうな、どんな人が作っているんだろうなっていう、食べ物から始まる探究心。場所に興味をもつのか、人に興味をもつのか、自分が興味を持つのはどこなのかから、「好き」は始まるのかなって思います。
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■もし子供が何かに悩んでいたら
―――川村さんがそんな風に考えるようになったのは、ご両親の影響もあるのかなと思うのですが、子供の頃にしてもらって良かったなと今思うことは何かありますか? 子供が何かに悩んでいるとき、川村さんがおっしゃっていた「好き」の見つけ方のヒントをその親御さんが伝えてあげられるといいなと思って。
川村:私の母はいろんなところに連れていってくれました。小学校一年生の頃、私がウサギを触ったことがないからと言って、横浜の高島屋で開かれていたイベントに連れていってくれたことを今でも覚えています。
当時の私はウサギを触れなくて、籠を持ったまま写真を撮ったのですが…(笑)。でも、自分が何を考えているのかわからない動くものが怖いんだと知ることができて、刺激になりましたし、いい経験になったと思います。
お子さんが何か辛いことで悩んでいるとき、話を聞いてあげることも大事だけど、どこかに連れて行ってあげることもいいのかもしれません。当時の私は、そうやって母がいろんなところに連れていってくれることで、気が紛れていました。