コロナ禍2年目の『24時間テレビ』が叩かれなかった理由 チャリティ批判の浅薄さ
コロナ禍2年目の『24時間テレビ』を昔から変わらぬ文化の違いや今日の現状から考える。
■チャリティ番組の横綱
結局のところ、『24時間テレビ』への批判は、批判した芸人などが恒例として横綱に胸を借りるようなもの。批判した側は批判した格好が付き、『24時間テレビ』側はびくともしない。
『バリバラ』(NHK・Eテレ系)が「感動ポルノ」と揶揄し盛り上がろうとも、『24時間テレビ』が障害者に無理強いでもしない限り、芸人による批判と同様の戯れに過ぎないのだ。チャリティ番組の横綱というよりほかはないといえるだろう。
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■コロナ禍と『24時間テレビ』
東京五輪も開催し、コロナ禍は、昨年より難しい局面を迎えている。しかしながら、コロナ禍も2年目ともなれば、人々の耐性もある程度、ついてきたのだろう。『24時間テレビ』に批判の矛先が向かうことはあまりなかった。
私たちは、むやみやたらに何かのせいにするようなことはなく、ワクチン接種で対抗しながら「ウィズコロナ」を生きていかなくてはならないだろう。『24時間テレビ』もただのマンネリではなく、「今年はよい『24時間テレビ』だった」と 思える年が多くなることを望みたい。
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(文/メディア評論家・宮室 信洋)