清原和博、FA当時阪神からの破格オファー 「お金はタイガースのほうが大きかった」
清原和博がFA宣言当時のことを振り返る。「金で巨人」と批判を受けたが、阪神のほうが契約内容がよかったことを明かした。
8日、元プロ野球選手の清原和博氏が自身のYouTubeチャンネル『清ちゃんスポーツ』を更新。タレントの松村邦洋と対談する動画内で、1996年のFA宣言時に巨人と阪神で揺れ動いていたことを振り返った。
■ライオンズで優勝を何度も経験した清原は…
1996年のオフにFA宣言をした清原。松村が当時のことを尋ねると清原は「ライオンズで優勝を何回も経験して、秋山さん・伊藤さん・東尾さん・石毛さんといったすごい先輩たちの中で自由にやらせてもらって」と話し出す。
貴重な経験をしたが、「ふと気づけば、周りが若い子ばっかりになってしまった。燃え尽き感というか」と当時の心境を振り返った清原氏。
「ライオンズに骨を埋めるつもりでしたけど、FA制度ができて、人生1回きりの中でチャレンジしてみたいな」とFA制度が生まれたことで新たな挑戦心が芽生えたことを明かした。
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■巨人か阪神かで悩む
宣言後、清原獲得のため、巨人と阪神が名乗りをあげた。2つの球団どちらに移籍するか相当悩んだようだ。阪神について、「甲子園は浜風がすごいじゃないですか。ぼくはセンターからライト方向に打ちますんで、タイガースもあの時弱かったですし…」と語る。
甲子園の浜風はライトからレフト方向に吹く。いつも強風が吹いているわけではないが、右打者の清原には不利な条件だったと言えるだろう。
さらに「あの時、タイガースで1番年俸もらっていたのが和田さん、1億だったと思います。自分が行くことによって、年俸が3億6000万円になる。前の年の1.5倍という規約があったもんですから…そうなったときにタイガースファンは許してくれへんかなとか、いろんなことを考えました」とプレイのことだけでなく、ファンからもどう見られるかという葛藤があったようだ。