高畑裕太、独占告白「本気でやりたいと思った」 初めて語った介護と遺品整理の仕事

2016年以降、表舞台から姿を消していた高畑裕太。6年間のことを赤裸々に語った…。

2022/05/22 04:00



■出勤初日、まさかの「トラブル」

高畑裕太

2年ほど遺品整理の仕事をした後、18年から介護施設で働き始めた。

「遺品整理の仕事でお世話になった上司がいて、その人から紹介してもらいました。昔、障がい者のグループホームの様子を描いた宅間孝行さんの『くちづけ』という舞台を見て以来、介護の仕事に興味があったんです。ただ、介護業界はアルバイトで働けるところが少ないこともあり、障がい者施設では募集がなかったため、老人介護施設で働くことになりました」。

新天地で一念発起しようとした高畑だったが、予想外の「トラブル」が…。

「出勤初日、ある週刊誌に僕のことが書かれてしまったんです。その朝、施設に行くと上司から応接間に呼びだされて、『高畑裕太という本名で仕事をすると、高畑くんも気を遣うだろうし、利用しているご家族の方も困惑するかもしれない。苗字だけでも変えたらどうかな?』と提案されました。僕のことを気遣って、事情を汲んでくれたんです。施設では父方の姓を名乗ることにしました。ただ、施設の職員や利用者の方に自己紹介したのですが、事情を知らないインターンで来ていた人が僕に気づかず、『きみ、高畑裕太にすごい似てるね! あいつ好きだったな~』と言われました(笑)」。


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■「いろいろなことを同時にやる」

高畑裕太

そんな苦労もありつつ、仕事に没頭していった。介護の仕事は大変だったのではないか。そう尋ねると、頭を使わないと1日が回らなかったと話す。

「朝、送迎に行くところから始まります。意思表示ができないけど手が動かせる方には塗り絵やパズルをしてもらい、そうしたレクリエーションに興味がない方にはお茶を飲みながら冗談も交えつつ話をします。午前中から午後にかけて順番に入浴介助や体操をしてもらい、昼食後もそうしたレクやお話をして、ご自宅に送る…。いろいろなことを同時に進めないといけないので、この時間はこうしようと計画立てて動く必要があります。人によってサービスも変わるので、1時間でこの人には塗り絵やレク、この人には入浴介助…と聖徳太子のように1人でいろいろなことをやらないといけないんですよ(笑)」。

話を聞く限りではハードワークに思えるが、高畑の話しぶりからは悲壮感は感じられず、むしろ楽しんでいるようにも見える。3年間働いたというが、今でも手伝いに行くことがあるようで…。

実は、この取材を受ける前日も、施設の人に『ゴールデンウイークで働ける人が少ないから入ってほしい』と言われました。指定された期間は午後から芝居の稽古があったので、3日間午前中だけ働かせていただきました」。

遺品整理、介護の仕事で経験を積み、19年には舞台『さよなら西湖クン』で芸能界に復帰した高畑。だが、表舞台に立つまでにはさまざまな葛藤があって…。(※後編に続く)

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(取材・文/Sirabee 編集部・斎藤聡人

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