『世界遺産』で日本一新しい縄文遺跡を2週連続特集 当時の暮らしを紐解く
10月2日・9日の『世界遺産』は、1年以上かけて撮影された「北海道・北東北の縄文遺跡群」を特集する。
■10月9日のみどころ
【日本最大級の縄文ストーン・サークル~秋田県・大湯環状列石~】
直径40メートル以上のストーン・サークルが2つ並んでいる秋田県の大湯環状列石。縄文時代のストーン・サークルとしては日本最大級である。大量の石はどこから運んできたのか、そして発掘されたさまざまな出土物から、何のために作られたのかを解く。
【巨大建造物のナゾ~青森県・三内丸山遺跡~】
日本最大の縄文集落にして、とくに有名な三内丸山遺跡。ここには高さ15メートル、直径1メートルの巨木を6本使った巨大な建造物や、「ロングハウス」と呼ばれる長さ32メートルもある大型の建物が建っている。じつは、両方ともクリの木で作られている。
クリは縄文人にとって建材であり、食料であり、燃料であったと同時に、その巨木は心のよりどころでもあり、重要な植物だった。さらに野生の動植物を狩猟採集していたとされる縄文人が、クリを自分たちで植え、栽培、管理までしていたという。その真相を解き明かす。
【津軽海峡を越えた縄文人~北海道・大船遺跡と青森県・三内丸山遺跡~】
元々はクリが生えていなかった北海道。しかし函館市の大船遺跡の建物は、クリの木を建材としている。こうしたことから北東北の縄文人が津軽海峡を渡り、クリを北海道に持ち込み、栽培したと考えられている。
さらに大船遺跡と青森県の三内丸山遺跡で同じ形式の土器も出土。それぞれの遺跡や出土物から、縄文人が津軽海峡を越えて行き来していたことを解き明かしていく。
縄文遺跡は日本全国で発見されているが、その中でも北海道と北東北のものが世界遺産になった理由は、この地域が縄文時代にひとつの文化圏だったことにある。
【1万年以上続いた縄文文化~青森県・大平山元遺跡、北海道・垣ノ島遺跡、青森県・三内丸山遺跡と亀ヶ岡石器時代遺跡~】
縄文時代の最大の特徴は、人類史においても希有な1万年以上という長期間にわたって続いたこと。青森県の大平山元遺跡は、1万5000年以上前の土器片が出土している日本で一番古い縄文遺跡。土器や猟の道具などの出土物から、定住を始めたばかりの縄文時代の暮らしが分かる。
北海道の垣ノ島遺跡(かきのしまいせき)は縄文時代前期から断続的に6000年も続いた集落の遺跡。集落の中に居住域、墓域などの配置が行われるようになり、墓域からは副葬品として「こどもの足形がついた土版」が見つかるなど、死者を弔う様子が見られるようになってくる。
青森県の三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期の大規模集落。縄文時代草創期の大平山元遺跡では見つかっていない「土偶」が、ここでは国内最多の2,000点以上も出土している。特徴的なのは板状土偶という、人を板のような形で描いたもので、プリミティブな迫力にあふれている。
そして縄文時代晩期の亀ヶ岡石器時代遺跡(かめがおかせっきじだいいせき)。ここからは有名な遮光器土偶が出土している。板状土偶と比べると、より立体的で複雑な造形へと変化している。このように縄文時代1万年の変遷を概観できることも、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録された理由の1つである。