ロシアのウクライナ侵攻から1年、プーチンが描く「帝国」復興と周辺国の歴史
【舛添要一『国際政治の表と裏』】 ウクライナ戦争の背景は「帝国の解体」である。大日本帝国、ソビエト連邦、ユーゴスラビアなどの例を考えてみよう。
■ユーゴスラビアという国
第一次大戦後に誕生したユーゴスラビア王国は、第二次大戦後、ヨシップ・ブロズ・チトーの下で、ソ連に従属しない社会主義連邦国家として再出発した。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と称される多様性にあふれる国は、チトーのカリスマで統一を保ってきたが、1980年5月のチトーの死去後、経済も悪化し、国内の分裂要因が拡大した。
その後、東西冷戦終了後の東欧諸国の民主化に刺激されて、ユーゴを構成する各国は独立の動きを強めた。1991年6月、「10日戦争」の結果、スロベニアが独立し、9月にはマケドニアも独立した。
スロベニアと同日に独立宣言したクロアチアでは、セルビア人も住んでおり、クロアチア政府に対して抵抗し、内戦状態となり、多くのセルビア人が難民となった。国連が平和維持軍を派遣するなどして介入し、事態が落ち着いたのが1995年の11月である。
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■民族紛争の激化
1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナが独立したが、ボシャニャク人(ムスリム)とクロアチア人は独立推進で、セルビア人は独立反対で、三者入り交じっての内戦状態となった。国連やNATOの介入で、1995年10月に停戦に漕ぎ着け、12月にボシュニャク人・クロアチア人がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦を、セルビア人がスルプスカ共和国を形成する形で、国家連合が成立した。
1998年にはセルビアでもコソボ自治州が独立を目指し、アルバニア人の武装勢力がユーゴスラビア軍及びセルビア人勢力と戦闘に入った。1999年6月に和平が成立し、その後、2008年2月にコソボは独立を宣言した。
2006年6月には、国民投票の結果、モンテネグロがセルビアから分離独立している。こうして、ユーゴスラビアは完全に解体した。ソ連邦の場合と同様に、民族主義の高まりが連邦国家を解体させたのである。
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■大日本帝国の解体
第二次世界大戦で無条件降伏して、大日本帝国もまた解体した。南樺太、朝鮮半島、台湾、そして管理していた南太平洋諸島を失い、日本列島に回帰したのである。戦後は、安全保障はアメリカに任せ、経済発展に集中し、豊かな国に変貌した。
もし、広大な大日本帝国を維持していたら、その管理に莫大な費用がかかったであろう。私も、東大ではなく、台湾とか朝鮮半島の大学で教鞭を執っていたかもしれないし、国家公務員も広大な帝国の何処か派遣されることになっていただろう。
帝国の維持費がかからないことを考えると、戦争に負けて良かったのかもしれない。
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■執筆者プロフィール
Sirabeeでは、風雲急を告げる国際政治や紛争などのリアルや展望について、元厚生労働大臣・前東京都知事で政治学者の舛添要一(ますぞえよういち)さんが解説する連載コラム【国際政治の表と裏】を毎週公開しています。
今週は、「プーチンが思い描く帝国再興」をテーマにお届けしました。
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(文・舛添要一)