【黒田勇樹の妄想的語源しらべぇ】コンビニで100%「袋に入れられない」答え方
しらべぇ読者の皆様、某「第3のビール」の回し者だと疑われているほどの酒好き、黒田勇樹です。こんにちは。
このコラムでは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べ、妄想をふくらませていこうと思います。
「大丈夫です」「結構です」の謎
そんな酒好きの筆者は、よくコンビニエンスストアで缶ビールを1つだけ買うことがあるのですが、気になるのが「袋にお入れしますか?」に対しての返答。
あやふやな表現が嫌いな筆者は、必ず「袋は必要ありません」と、誰が聞いても「ああ、この人は袋がいらないんだ」とわかるように答えるようにしているのですが、自分以外の返答でよく耳にするのが「大丈夫です」「結構です」。
当たり前のように「否定」の言葉として使われている、このふたつの言葉ですが、本来の意味は、どちらも「肯定」に使われる言葉。
「袋にお入れしますか?」に対しての「大丈夫です」は、何が大丈夫なのでしょうか? 「結構です」は何が結構なのでしょうか?
「(袋に入れなくても)大丈夫です」ということなのでしょうが、「入れますか?」という、本来「はい」「いいえ」で答えられるはずの問いかけに対して、なぜ日本人はここまで遠回しな表現で、袋を断るのでしょうか?
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「奥ゆかしさ」のせい?
筆者が思うに、これぞ日本人特有の「奥ゆかしさ」なのではないでしょうか? 心理学的にも「否定的な言葉」を言われるよりも「肯定的な言葉」を言われた方が、相手との関係が良好になると言われています。
例えば、何か相手に心配をさせてしまった場合に「心配させてごめん」というよりも「心配してくれてありがとう」と肯定的な言葉を使ったほうが、相手との関係が円滑に進むのです。
さらに「袋に入れなくても」を、省略したやりとりは「行間を読む」と呼ばれている「言葉にしていない部分を想像して補完する」という相手への気遣いの表現であり、お互いの関係を良好にするための手法のひとつだと思われます。
ここで湧いてくる疑問が、そんな文化的なことではなく「形式的に“大丈夫”“結構”と言われたら袋は要らない、という対応をしているだけで、客もそれを知っていて形式的に応えているだけはないのか?」
もしそうであれば、筆者の考える日本人特有の奥ゆかしさは机上の空論、空想の産物になってしまいます。「肯定的」な言葉であり、かつ、コンビニで、袋の話の時にあまり使われないような言葉を探して「奥ゆかしさ」を確かめることにしました。
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実験:「かまわないよ」と答えるとどうなるか?
数日間、コンビニで「袋にお入れしますか?」と聞かれた時に「かまわないよ」と答え続けてみました。「(袋に入れても)かまわないよ」とも「(袋に入れなくても)かまわないよ」とも、とれるこの言葉。なんと、「袋がつかない率100%」でした。
外国人店員さんが多かったこともあるのかもしれませんが、どうやらコンビニでは、「はい」以外の回答をすると「要りません」と、形式的に捉えるようです。
非常に残念な結果になりましたが、これもまた調査に基づいた事実。ありのままをご報告させて頂きます。「奥ゆかしさ説」も、必ず証明できるはずなので、また別の実験を思いつき次第実施します。
ちなみに「かまわないよ」がクセになってしまった結果、コロッケとビールを買った時に「ご一緒に袋に入れてよろしいですか?」と聞かれ「かまわないよ」と答えてしまったために、冷たいものと温かいものを同じ袋に入れられ、ぬるいビールを飲みながら冷めたコロッケを食べることになった思い出は、本当に、屈辱でした。