たった1人しかいなくても友”達”? 気になる「ダチ」の使い方
友達は複数を表すのに、ひとりでも友達と使うのはなぜ? 細かいことが気になってしまった俳優・黒田勇樹のコラム
細かいことを気にしすぎて、友達が少ない俳優/ハイパーメディアフリーターの黒田勇樹です。
友達は5人ぐらいしかいません、いや、2人かもしれません。…2と5の違いなんて、細かいことなので気にしないことにします。
このコラムは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べる「妄想的」な語源しらべぇです。
■「ひとり」でも「とも”だち”」
「たったひとりの、友達」、気になりませんか? 「友達」は「1人」なのか、「たち」なのか?
上の文章であれば、「たったひとりの」と限定しているので、友達は1人だとがわかります。
ならば「たったひとりの友」でいいのに、複数を表す「達」を付けてしまったがために、こんなに気になる文章になっているのです。
「大勢の、友達たち」、これも普通に使われている言い回しなので、スルーしてしまいがち。
ですが、よく読んでみると「達」に「たち」をつけてしまっているので、もう、すっごい大勢いる感じがしませんか?
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■友達をダチと呼び始めると
一昔前の不良漫画などを読んでいると、いよいよ「友達」のことを「ダチ」と呼び始めます。
「たった一人の、ダチ」。「達・たち」はね、「複数の人を表す」って、どの辞書にでも書いてあるんですよ!
たった一人の複数の人って誰だよ! 忍者かよ! 分身してんのかよ! 絶対に不良とは仲良くなれないな! と、筆者は思ってしまうわけです。
誤用も一般に普及すれば正用、と捉える最近の風潮の中、戦前の辞書にも載っている「友達」という言葉にケチをつけても仕方がない。
しかし、一般的になっている言葉の中の誤用を気にすることでこそ、言葉の正しい使い方が身につくのではないかと考えているので、読者の皆様も一度気にしてみては如何でしょうか?
ちなみに「心の中でも正しい日本語を」と心がけている筆者は、大勢の少年たちを見かけた時には、「今日も、子供どもは元気だな」と、思うようにしています。
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(文/ハイパーメディアフリーター・黒田勇樹)