平成の御代を振り返る 藤原敏史監督に聞く「今上天皇は稀代の『有徳』の天皇」
東日本大震災を記録したドキュメンタリー映画『無人地帯』でも高く評価された藤原敏史監督は、天皇陛下と直接話した経験を持つ。
平成の御代もあと、2ヶ月で終わる。平成という時代はどういう時代だったのか、「日本国民統合の象徴」として平成を歩まれた今上天皇をどう見るのか?
諸々の知識人・政治家にインタビューしていく。第4回目はドキュメンタリー映画監督の藤原敏史氏に聞いた。
藤原監督はパリで幼少を過ごし、アメリカの大学で映画製作を学び、東日本大震災から一ヶ月ばかりの時に現地入りして、製作したドキュメンタリー映画『無人地帯』は世界的に評価された。また、天皇陛下と話す機会を偶然に得たという希有な人物である。
■護憲の一方で伝統に忠実
———今上陛下の30年余年の歩みをどうご覧になりましたか?
「よく今上天皇は『護憲リベラルではないか』と言われていますが、もちろんそれは自分自身でも護憲をことあるごとに公言している以上は確かである一方で、明治維新で歪んでしまった「天皇制」を歴史的な伝統に引き戻すことも意識しているように思えます。
つまりどっちにしろ、もしかしたら天武持統朝つまり大宝律令の成立期か、少なくとも聖武天皇以降は、桓武天皇、後醍醐天皇といった例外的な存在を除けば、天皇は日本の政治史上むしろ『象徴』として倫理的な権威を担うことが主たる役割になって来たとも考えられます。
言い換えれば、政治的な実権を行使したことがほとんどないし、それは天皇の役割ではなくなっていた」
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■象徴であることが「伝統」
———そもそも、天皇とは象徴だった、と。
「もしかしたら乙巳の変(大化の改新)で実権を掌握した中大兄皇子からしてすでに、長いあいだ東宮のままで母である天皇の摂政的な立場で改革を実行し、即位したのは最晩年だけだった辺りから、すでに天皇はむしろ象徴となる素地が作られていたのかもしれない。
天皇家が政治的実権を掌握する必要を感じた平安末期の天皇は、わざわざ退位して上皇・法皇になったわけだし、こと武家に政権が移ってからは実際の政治は征夷大将軍に任命された武家が行い、天皇は政治的権力を全く持っていない。
そのいわば『伝統』を壊した後醍醐帝の建武の新政は明らかな失敗だった。また、名目上のみだとしても天皇親政体制を帝国憲法で制度化した明治以降の、多分に西洋の絶対君主制を模倣することで変質した近代天皇制は、明らかに昭和20年の時点で大失敗だったことが証明されている」