「流行語大賞」とビジネスパーソン 約40年の“世知辛さ”を振り返る
12月1日に大賞が発表される今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」。過去約40年を振り返りつつ、大衆なき時代の流行語とそこで描かれる「世知辛さ」を分析する。
Sirabeeでは、労働社会学者、働き方評論家である千葉商科大学国際教養学部准教授・常見陽平(つねみようへい)さんの連載コラム【過去から目線】を公開しています。
現代社会で今まさに話題になっているテーマを、過去と比較検討しながら分析する連載です。
今週は、年末の風物詩である「新語・流行語大賞」がテーマ。時代とともに流行語はどう変わっていったのか…。
今年も「ユーキャン 新語・流行語大賞」ノミネート語が発表された。大賞発表は12月1日。毎年「そんな言葉知らない」「本当に流行っているの?」というツッコミがある、この賞だが、実は初期からずっとそうだった。受賞語を振り返りつつ、約40年間の働く人の「世知辛さ」を振り返る。
■最初から「知らんけど」だった流行語大賞?
今年も「ユーキャン新語・流行語大賞」のノミネート語が発表された。「国葬儀」「宗教2世」「こども家庭庁」「インボイス制度」「メタバース」「大谷ルール」「知らんけど」などなど政治、経済、スポーツ、文化など分野をこえた30語が選ばれた。
同賞は毎年秋に自由国民社から発行される『現代用語の基礎知識』に掲載された言葉から決まる。私はこの約10年、この本の主に「働き方事情」のページを担当している。今年は担当したページから「リスキリング」がノミネートされた。コロナ前までは、授賞式とパーティーにも毎年のように参加していた。取材にやってくるメディアも多く、お祭り感、ワクワク感があった。
この賞をめぐっては、毎年ノミネート語、受賞語が発表されるたびに「そんな言葉、流行っていたのか?」という批判が巻き起こる。今やSNS上でつぶやかれた回数、メディアに掲載された時期や回数をかなり正確にカウントできる時代なので、審査員が選考し決定するというスタイルに違和感、さらには偏りや意図を感じてしまう人もいるだろう。
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■1984年に開始
もっとも開き直るわけではないが、実はそのような疑問の声は、1984年の第1回の段階から同賞の関係者の間からも飛び出していたという。私は2014年の12月に当時の『現代用語の基礎知識』編集長で、同賞の審査員を長年務めた清水均氏に取材し、「東洋経済オンライン」にてインタビュー記事を公開している。
同賞がスタートしたときに20代だった清水氏は、流行語大賞を決めるという行為自体に古臭さを感じたという。たしかに、ノミネート語、受賞語は話題になっていた言葉ではあったものの、「流行語」だとは思えなかった、と。清水氏が10代だった頃には、クレージーキャッツやドリフターズがいたし、赤塚不二夫のマンガがあった。
昭和40年代には「誰もが流行語だと思える強烈な言葉」がいくつも生み出されていたのだ。昭和の後期、末期は「国民的流行」というものがなくなった時代だと言われている。そんな時代に始まったのがこの賞なのだ。つまり、スタート時点から「流行語」に光を当てるということ自体、困難だったのだ。
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■流行語=共通体験とならないケース
奇しくも第2回、1985年の新語部門・金賞は「分衆」で当時の博報堂生活総合研究所の近藤道生氏が受賞した。日本人の価値観は多様化・個性化・分散化してきたことを、従来の均質的な「大衆」ではなく「分衆」が生まれたのだとした。
この言葉が象徴するとおり、「流行語」が必ずしも「共通体験」とならない状態の中で、時代の変化を捉えてきたものだと言えるだろう。流行を定量的に捉えることも必要だが、単なる「量」だけでは見えにくいものもある。審査員が決めるという形式が必ずしも悪いわけではない。
なお、同賞はあくまで「新語・流行語」にスポットを当てるものであり、必ずしも「栄誉を称える」ものではない。「アベ政治を許さない」「忖度」など政権批判的なキーワードが入ることもある。私がここ数年、授賞式で目撃した中では「プレミアムフライデー」などは、「褒め殺し」そのものだった。
このような同賞の前提を確認しておきたい。スマホの時代となり、共通体験のますますの希薄化が進む中、この賞に注目が集まり続けているという現象にも注目したい。