ロシアのウクライナ侵攻から1年、プーチンが描く「帝国」復興と周辺国の歴史
【舛添要一『国際政治の表と裏』】 ウクライナ戦争の背景は「帝国の解体」である。大日本帝国、ソビエト連邦、ユーゴスラビアなどの例を考えてみよう。
1989年12月にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦は西側の勝利で終わった。1991年12月にはソ連邦も解体してしまった。そして、ソ連の支配下にあった東欧諸国も、モスクワの軛を断ち切っていった。
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■ソ連邦解体で仲間が敵陣に走った
そのうえ、1999年3月にチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟し、2004年3月にエストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアが、2009年4月にアルバニア、クロアチアが、2017年6月にモンテネグロが、2020年3月に北マケドニアがNATOに加盟したのである。
ロシアにしてみれば、かつての子分たちが、事もあろうに敵陣に走り去ったのであるから、怒り心頭である。
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■帝国を回復するプーチンの戦い
国境を接する最後の砦、ベラルーシとウクライナだけは死守したいというのがプーチンの決意である。ベラルーシは仲間であるから問題ないが、ウクライナが離反しそうになった。そこで、1年前に軍事侵攻したのである。
多民族国家のロシアでは、各地で独立を求める民族が反乱を起こす、それを軍事力で制圧して、これ以上の帝国の縮小を阻止してきたのがプーチン大統領であり、それが彼の国民的人気の源である。首相に就任してすぐ、1999年9月にはチェチェンを空爆し、独立派の武装勢力を潰した。グルジアでは、2008年8月に、親露派の南オセチアとアブハジアを救うために軍事介入し、グルジア軍を屈服させた。
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■クリミア半島を併合
2014年3月には、ロシアはクリミア半島を併合した。1954年にフルシチョフは、ロシア共和国からウクライナ共和国への「友好の証」としてクリミア半島を割譲したが、ロシア人が多い地域であり、周到な準備を進めたうえで、住民投票という手を使って、取り返したのである。
崩壊した帝国を回復させることに成功したのであるから、ロシア国民はこのクリミア併合に喝采した。
その後、ウクライナ東部で、ルガンスクとドネツクを独立国家として承認したのは、このクリミア併合と同じプロセスを追求するためだと考えられる。