SNS上では「キャラ設定」するとイイ感じ【黒田勇樹の妄想的語源しらべぇ】
昔、好意を寄せていた女の子に「好きだよ」と、言ったところ「またまた、お芝居が上手いんだから」といってフラれたことがある俳優/ハイパーメディアフリーターの黒田勇樹です。こんにちは。
このコラムでは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べ、妄想をふくらませていこうと思います。
■自分はどんなキャラクターであるか?
©iStock/fabioderby
「言葉」について考察を進めている当コラムですが、「文章」という媒体を通じて言葉を伝える際に、非常に大きな隔たりとなるのが「発言する人物と、その人格」です。
基本的にはニュースサイト上で発信される文章なので、公正であり一般的であることが最優先だと思います。
ですが筆者の様に記事のタイトルに自分の名前が入るような、いわゆる「署名記事」を書く場合、どうしてもその部分が読者に対してのフィルターとなるワケです。
以前にも書かせていただきましたが、ワンピースのルフィが「当たり前だ!」と言うのと、ブラック企業の社長が「当たり前だ!」というのでは、全く意味が変わってきます。
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■意見を発信するとき心がけていること
高田純次が誰に「結婚しよう」と言っても笑って済まされますが、塩○瞬や、タイガーウッ○、筆者などはそれでヒドい目にあっている訳です。想像して下さい。
毒蝮三太夫やみのもんた、綾小路きみまろに「ババア」と罵られるのと、鈴木福くんに「ババア」と言われた時の、精神的ダメージの差を。「言葉」というのは「誰が言っているのか」が非常に大切だということがおわかりいただけましたでしょうか?
かくいう筆者も、このカラクリに気づいて以降、出来るだけ「コイツはいつも冗談を言っている」と、世間に認識されるよう自分の発言に、ワザと信ぴょう性のない「誰がどう見ても冗談」という内容を、一定の割合で発信するよう意図的に心がけています。
日常の人間関係しかり、SNS上でなにかを発信する場合、この「自分というキャラクター」の「言葉」を、意識してつむいでみてはいかがでしょうか?
(文/ハイパーメディアフリーター・黒田勇樹)