日本酒醸造の伝統と技術革新 山廃造りにこだわる『君の井』の選択
山廃仕込にこだわり、昔ながらの道具も使いながら丁寧に醸す妙高市の酒。
■途絶えることなく受け継がれてきた技術
改めて、いつから山廃を造っているかと早津杜氏に聞いた。
「山廃という酛造りの製法が開発され、紹介された時からずっとです。この蔵は、山廃造りを止めたことがないのですよ」
山廃酛は、生酛造りには必須だった山卸というきつい作業を省けたものの、水麹を造り自然界から乳酸菌を取り込むため、温度変化に注意を払いコントロールしながら、生酛同様、1ヶ月ほどかけて行うことになる。
同時期に、約半分の期間で出来上がる速醸酛も開発され、そちらに切り替えた酒蔵は多い。そして、 山廃の製法が確立され、浸透した頃から、日本は戦時色が濃くなる。
原材料や人手不足から、やがて三倍増醸清酒(三増酒)の製法が確立され、推奨された。君の井酒造も例外ではなく、三増酒を作ることになる。しかし、三増酒にも山廃酛を使っていたというのだ。
「三増酒を作る際、山廃じゃないとお酒が負けちゃうんですよ。しっかりした味のお酒にならないんです」
つまり、君の井酒造では「三増酒を造る=山廃酛を造る」ということだった。もちろん、三増酒をやめてからも山廃を造り続けてきたので、山廃酛造りを止めたことがない。技術は、途絶えることなく引き継がれてきた。
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■酒質を上げるために
北國街道沿い新井宿にある君の井酒造は1842年、江戸時代後期の天保13年創業とされている。これは、蔵に残る醸造許可証によるもの。
街を焼き尽くしたとまで言われる明治の大火をはじめ、度重なる火災により、多くの記録を消失しているため、さらに古い物証が出てくれば、塗り替えられるかもしれない。
正面の母屋は、明治の大火後に再建された建物を守って今に至る。造りの場となる奥にある建物は、のちに吟醸酒の普及に尽力することとなる建築家、篠田次郎氏の設計によるもので、1967年に完成した。
安全性、利便性を重視して建て替えたとのことだが、それ以前にあった建物も、いち早くコンクリート造りを導入。酒質を上げるための情報収集に余念のない様子が伺える。
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■ホーロータンクの導入にも尽力
近年になって、木桶の復活が著しい。歴史を重んじる君の井酒造ではあるが、蔵の中に並ぶのは、すべてホーロータンクだ。
じつは現代ではすっかり一般的なホーロータンクが、全国の酒蔵に普及した陰には、君の井酒造など新潟の酒蔵4社の支援があった。
木桶に比べて醸造過程での目減りも少なく、酒造りに悪影響となる雑菌なども入りにくいホーローでタンクを作れば、酒造りはもっと安全に、量産もできると考え、兵庫県で創業した灘琺瑯タンク製作所。
地元兵庫の蔵に働きかけたが協力を得られず、代わって資金援助し採用したのがこの4蔵だった。その後のホーロータンクの広がりはご存知の通りだ。吟醸酒が広く造られるようになったのもホーロータンクのおかげとも言われる。
導入した1928年には、若き日の田中哲郎氏が、君の井酒造に2年間の酒造り修行に来ている。
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■蔵元が語る酒造りへの思い
田中専務:仕込水は、妙高山麓に源を発する矢代川の伏流水を敷地内の井戸から汲み上げています。原料米も地元妙高市産を積極的に使用しています。豊富な雪解け水によって品質の良い米が作られるんです。
酒質の向上とともに、そんな地元の恵みをふんだんに活用して美味しい酒を造りたいといつも考えています。
そんな蔵元が勧めるお酒を紹介しよう。
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①『恵信 純米大吟醸』
晩年をこの地で過ごした親鸞聖人の妻「恵信尼」に因んで命名した新ブランド。華やかな香りと甘さと酸味のバランスが良い。
②『君の井 純米大吟醸山廃仕込』
地元、妙高市産の契約栽培「越淡麗」を、山廃仕込で醸した、技術の粋の結晶。
③『君の井 上泉本醸造』
穏やかな香りとなめらかな飲み口、スマートな味わいは、燗よし常温よしで、晩酌にも料理にも合う定番酒。
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(取材・文/Sirabee編集部)