『昭和は輝いていた』放送10年目突入特番 デビュー50周年の海援隊を特集
『昭和は輝いていた』で2週にわたり海援隊を特集。名曲「贈る言葉」の知られざるエピソードなど、貴重な裏話が明かされる。
■海援隊のターニングポイントは?
放送に先立ち、メンバー3人からインタビューコメントが寄せられた。
武田:フォークシンガーで入ってきて、運命の流れに吹き寄せられたり流されたりしながら 27歳のときに、映画の中で演じるということ、あの月日が1つの転機だったんじゃないかと思います。
中牟田:ターニングポイントというか、私的なことになると思いますが、一旦、解散してすぐに子供が生まれるんですけど…ゆっくり5年間くらい子供と遊んで…。
子供が成長してギター弾くようになりまして、やめとけっていいたいんだけどやめないから(子供に)そのうち負けるなと…たぶんそこ(ターニングポイント)じゃないかと。
千葉:1982年に解散した後に…。友人とインディーズのレコード会社を作るんですが、それでもあまりしっくりこなくて、1人で歌い始めたんですね、はじめて。
トークも全部ひとりでしないといけないし、そのときに、今までの武田さんのトークの苦労とか曲作りの苦労とかがわかってきて、再結成したときに、それを「海援隊」に反映出来たことが、自分の中で1番勉強になったことですね。
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■令和のこの時代に挑戦していきたいことは?
武田:最近よく2人に話すんですけど、むごい言い方になりますが、もうあと10年続くグループじゃないかもしれません、我々は。体力的に、スパートとして、僕たち3人は使命として、生きていてよかったとか、いい生き方ができたという、曲を残さんと申し訳ないと。
それで、この間も3人で飲みながら話したんですが、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」みたいな、なんか、日本人の体に合う、ジーンズとTシャツみたいな「What a Wonderful World」なんて素晴らしい世界だというのを、作ろうと、その歌に向かって、この番組から昭和の知恵をいただきつつ、目指していきたいなと思っております。
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■「浮き沈みの折れ線グラフ」
番組プロデューサーからもコメントが寄せられた。
橋本かおり統括P:番組は10年目を迎えました。今週と来週はそれを記念して“海援隊デビュー50周年”SPをお届けします。一口に50年と言っても海援隊の皆さんには様々な出来事が…。
番組では独自に浮き沈みの折れ線グラフを作ってみました。昭和49年母に捧げるバラード大ヒットの武道館ライブのあとは、まさかのどん底。
落ち込む武田さんに対し、メンバーの千葉さんは売れない生活をエンジョイし、中牟田さんもやたらもう遊んでいたとか。いやはやそれでも3人はまた、贈る言葉というヒットを飛ばし、折れ線がぐっと上がる…。
そんな3人の本音トーク炸裂の2週連続放送です。取材の際、メンバーの3人ともこの3人で良かった…。としみじみおっしゃっていたのが印象に残っています。まだまだ70代としての海援隊の歌を作ってください!
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(文/Sirabee 編集部・蒼羽 結)