泥沼状態のウクライナ戦争 停戦の鍵握るのは軍事、政治、経済の「限界」

【国際政治の表と裏】収束の糸口が見えないウクライナ戦争。果たして、過去の戦争はいかにして集結してきたのか。振り返る。

2022/12/06 05:15

ウクライナ廃墟

ウクライナ戦争は停戦の見通しが立たない。歴史上、停戦し、講和に至った戦争を振り返る。



 

■第二次世界大戦

1939年9月1日に始まった第2次世界大戦は、連合国(英米仏ソ連など)が枢軸国(日独伊など)に勝った戦争である。イタリアでは、45年4月28日にムッソリーニがパルチザンに銃殺された。ドイツでは、4月30日にヒトラーが自殺した。

その背景は、連合国側の攻撃にイタリアもドイツも反撃する能力を失ったからである。日本は、8月の広島、長崎への原爆投下で壊滅的な被害を受け、8月15日に無条件降伏した。

今のウクライナ戦争は、ロシアもウクライナもまだ継戦能力を維持しており、第2次大戦末期とは異なる。


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■日露戦争

話し合いによる停戦や講和が成立するためには、交戦国が消耗し、経済的に継戦が困難になる必要がある。そのような例が1904年2月に勃発した日露戦争である。ロシアでは帝政を打倒しようとする革命勢力が台頭し、国内が不安定になり、05年6月には黒海艦隊の戦艦ポチョキンの水兵が反乱を起こした。

日本は、05年3月の奉天会戦勝利、5月のバルチック艦隊撃滅などの成果を収めたものの、さらに戦争を続けていくのは、軍事的にも経済的にも不可能であった。


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■調停役の存在

そこで、日本は、アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトに講和の斡旋を依頼し、ロシアのニコライ2世も、帝政を守るために、日本との戦争よりも国内の革命勢力との戦いを優先させ、それに応じたのである。

ルーズベルトもまた、日本かロシアのいずれかが決定的な勝利を収めれば、その国がアジアを支配することになり、それは勢力均衡という観点からは望ましくないと判断して、斡旋の労をとった。

05年8月のポーツマスでの講和会議では、ロシアは南樺太を譲渡したのみで、賠償金は払わなかった。日本政府のプロパガンダで連戦連勝に沸いていた国民は、この結果に不満を抱き、日比谷焼き打ち事件などを起こして抗議したのである。


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■冬戦争

1939年11月30日、ソ連軍(赤軍)はフィンランドに侵攻し、「冬戦争」が始まった。ソ連の指導者スターリンは、小国など直ぐに屈服できると思っていたが、フィンランドの抵抗は凄まじく、容易には屈しなかった。フィンランド軍はスキー部隊を編成し、自国の地形を活用して有効な戦いを進め、赤軍に壊滅的な打撃を与えた。

しかし、ソ連は兵力を増強して攻撃を続けたため、武器弾薬の消耗が激しいフィンランドは、敗戦は必至となると判断して、講和への道を選んだ。ソ連もまた、戦争の長期化は避けたいという思いから、講和に踏み切った。こうして、40年3月12日に講和が成立し、フィンランドはカレリアなど領土の約10%を割譲することになったが、独立を保つことができたのである。

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■歴史からの教訓
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