小学校襲撃で6人が死亡… アメリカで「銃撃事件」が消えない歴史的・宗教的な背景
【舛添要一『国際政治の表と裏』】アメリカ・テネシー州で3月27日に発生した小学校銃撃事件。なぜ銃の所持は規制されないのか、改めて考察する。
■「古き良きアメリカ」
つまり、銃とキリスト教はアメリカの建国、アメリカの民主主義に深く関わっているのである。
アメリカは広大であり、ニューヨークやサンフランシスコだけがアメリカではない。私は、かつてキリスト教信仰の熱い地方で仕事をしたが、銃を保持していても、それを犯罪に使う者はなく、強固なキリスト教信仰が、神の名の下にそのような愚行を阻止していた。
私が授業をしていた大学のゲストハウスには鍵がなかった。「神が見ているのに、盗みなどを行う者はいない」というのである。私が、別の大学に移動するときも、学生が車で送ってくれた。私のスーツケースを前の晩から車のトランクに入れておいてくれたが、車を施錠することはなかった。神が守っている大学のキャンパスには鍵など不要だという同じ理由からだ。
再洗礼派の私立大学では、毎日講堂に全学生が集まって、聖書劇を演じるなど信仰篤いカリキュラムであった。地方の「古き良きアメリカ」である。
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■「小さな政府」
次のキャンパスへの移動も、仲間たちが車で手伝う。それでも自らの力が及ばず、隣人たちとの相互扶助でも手の及ばない仕事(たとえば軍隊)のみを税金を出して政府に任せるのがアメリカなのである。
3月15日の本コラムで、なぜアメリカは国民皆保険でないのかを解説したが、アメリカは、まさに「夜警国家」、「小さな政府」なのである。保安官が足りなければ、自衛するしかない。銃規制を求める声が高まっているが、同時に銃を購入する人が増えている。
私も地方のアメリカに住んでいれば、犯罪者から、また厳しい自然から自分や家族や友人を守るために銃を保持するであろう。その感覚は『大草原の小さな家』のイメージである。その開拓魂が今もアメリカに引き継がれており、それが銃規制を困難にしている。
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■執筆者プロフィール
Sirabeeでは、風雲急を告げる国際政治や紛争などのリアルや展望について、元厚生労働大臣・前東京都知事で政治学者の舛添要一(ますぞえよういち)さんが解説する連載コラム【国際政治の表と裏】を毎週公開しています。
今週は、「アメリカの小学校銃撃事件」をテーマにお届けしました。
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(文・舛添要一)