平成の御代を振り返る 金子宗徳博士に聞く「日本国民統合の象徴」に徹された天皇陛下

今上天皇陛下の「平成の御代」とはどのような時代だったのか。陛下が目指されたものは何か。日本国体学会理事などを務める金子宗徳氏に聞いた。

インタビュー

2019/02/19 08:30


 

■「母」のように被災者と向き合う

金子宗徳

———平成は震災のときでした。天皇・皇后陛下が被災地を訪れ、被災者と同じ目線で語りかけるというスタイルが「平成流」と言われましたが、どのようにご覧になりましたか。また、今上陛下の被災地訪問についてどう思いますか?

金子:御譲位の是非を巡る議論の中で、右派の一部は「天皇は存在し、祈られるだけで尊い。体力の問題があるなら、わざわざ被災地に出向かれる必要はない」と主張しましたが、私は違うと思っています。


古語に「しろしめす」という言葉があります。これは「お知りになる」という意味です。古来、天皇は「しろしめす」存在でした。「百聞は一見に如かず」という言葉がある通り、「知る」には実地を「見る」ことが一番です。


今上陛下は、被災地の国民の様子を知るため、実際に「見る」という選択をされたのだと思います。これは今上陛下に限らず、昭和天皇は敗戦後に国内を御巡幸されましたし、明治天皇や大正天皇も全国各地に足を運ばれました。


その上、被災地を実際に訪問されるということには、さらなる意味合いがあります。第一に、かけがえのない家族や大切な財産を失い、希望を失っている人々に対して「決して貴方たちを見捨てはしない」というメッセージを直接的に伝えられるという点。


第二に、被災地御訪問の報道を見聞きすることにより、他の国民が「同じ日本人なのだ」という思いを持つようになるという点。


これもまた、「日本国民統合の象徴」という日本国憲法第一条の規定に適うものであると同時に、歴代天皇と同じく日本国の統治者としてのお振舞いである、と思います。


いわゆる「平成流」について、右派の一部から批判がありました。天皇を「父」、国民を「子」とする意識に立って、上から義を示すべき「父が子に媚び過ぎだ」と思ったのでしょう。


私も、天皇を「親」、国民を「子」とする意識を有する者ですが、親は「父」に限りません。幼子が辛くて泣いている時、目線を合わせて慰めてくれる「母」もまた親です。今上陛下は、「母」として被災者に対しておられるのだと思います。


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■激戦地を御訪問された意味は

———今上陛下の「平和の旅」とも呼ばれる、たとえばサイパン訪問・ペリリュー島訪問などをどうご覧になりましたか。

金子:サイパン島には、私も慰霊のため訪れたことがあります。多くの軍人や民間人が身を投げたバンザイ・クリフやスーサイド・クリフなどで鎮魂の祈りを捧げました。青空の下に広がる穏やかな海の際に遺るトーチカや砲台を見ると、何とも切なくなります。


大東亜戦争を侵略戦争と決めつける左派の歴史観は間違っていると思いますが、コミンテルンによる謀略に左右された部分を含め、負けるべくして負けた戦争だったと思います。


けれども、そうした歴史観の相違を超えて、戦死者を悼む気持ちは全ての国民が持つべきでしょう。


敗戦から七十年あまりが経過し、国民の大東亜戦争に対する意識が風化してきています。そうした中で、今上陛下が激戦地を実際に御訪問されたということ。これは、被災地御訪問と同様の意味を持っていると思います。


即ち、第一に、祖国防衛のために生命を捧げた死者に対して「決して貴方たちのことを忘れない」というメッセージを直接的に伝えられるという点。


第二に、激戦地御訪問の報道を見聞きすることにより、私たち生者が「日本人としての来歴」を確認する契機となる点。


これもまた、「日本国民統合の象徴」という日本国憲法第一条の規定に適うものであると同時に、歴代天皇と同じく日本国の統治者としてのお振舞いである、と思います。


先般、靖国神社の宮司が今上陛下の激戦地御訪問に対して批判がましい発言をして辞職に追い込まれました。戦歿者の御慰霊というなら、是非とも御親拝を賜りたいという思いが昂じてのことでしょうが、勇み足としか云いようがありません。


陛下の御親拝を実現するためには、それを可能にする社会情況が必要です。その一環として、靖国神社も様々な教化活動を展開しており、私も崇敬奉賛会青年部「あさなぎ」の一員として活動した時期もありますが、思うところあって辞めました。


崇敬者の一人として、靖国神社当局には、まずは足元を固めてもらいたいと思います。


■真の「国民統合」を

———最後に平成の御代が終わる感慨・ご感想をお聞かせください。

金子:私は、昭和50年生まれの43歳です。今上陛下は、私が13歳・中学1年生の時に即位されました。それから30年、今にして思えば、私は「平成人」です。


この30年間、社会は大きく変化しました。バブル崩壊後の不況、経済のグローバル化、IT技術の飛躍的発展。多くの人々がスマートフォンを持ち歩くようになり、外国人の姿も増えました。


それは、社会に大きな利便性をもたらした一方で、新たな歪みをもたらしましたことは否定できません。


今上陛下は、昨年11月の静岡県に際して浜松市にある外国人学習支援センターを訪ねられました。これは日本人と外国人労働者との融和を願われるお考えによると思われますが、その一方で、日本人の引き籠りやニートが忘れ去られるようなことがあってはならないと思います。


不本意な形で社会から切り離された引き籠りやニートに社会的役割を与えることは、「国民統合」の見地からして重要です。来るべき新しい御代においては、これらの人々にも目が向けられることを心から願います。

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(取材・文/しらべぇ編集部・及川健二 つねに弱者に寄り添われ続けた両陛下。 取材協力/金子宗徳)

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