歴史考察の鍵を握る英雄たちの「身長」 犬公方は小人だった?
「歴史人物の身長」は、意外にも万人の共有知識とはなっていない。
これは不思議なことでもある。「この人物の大きさはどれくらいだったのか?」は、誰しも興味を持つはず。ところが歴史学会であまり考慮されないのは、常に一面的な専門性を求めるアカデミズムの弊害かもしれない。
だが、人にとって身長とは極めて重要度の高い要素である。
■太閤殿下はやっぱり「猿」だった?
たとえば、戦国時代当時の日本人男性の平均身長は150cm台であった。160cmもあれば「背の高い人」と言われていたに違いない。
ところがその中で、真田信之の身長は185cmもあったという。現代でもかなりの高身長だから、400年前はなおさらだ。また、加賀百万石で有名な前田利家も182cm、黒田官兵衛の養子黒田一成は180cm。
一方、豊臣秀吉はわずか140cmしかなかった。16世紀においても、これはかなり小柄な部類だ。しかも彼は貧農の出だったことを考えると「あいつは卑しい家柄の猿だから……」と言われ続けたに違いない。
同時に、生まれながらの身体的コンプレックスが天下取りの野望につながったとも言える。
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■犬公方は小人症!?
しかし、その秀吉の嫡男である豊臣秀頼の身長は196cmもあった。これは巨人症の可能性も考えられるが、母の淀殿は160cm台、母方の祖父浅井長政は信之や利家と同じ180cm組のひとり。病気ではなく、遺伝でそうなった可能性も否定できない。
一方で、徳川将軍家の15人は若くして亡くなった徳川家継を除くと、ほぼ150cm台〜160cmちょうどまでに収まっている。
だがその中でひとりだけ「犬公方」徳川綱吉は124cmという低身長。もちろん、家継のように幼少のままこの世を去った人物ではない。彼は明らかに小人症だったのだ。
徳川綱吉は、最近になって再評価が進められている。
とくに彼の時代の経済政策は、輝かしい元禄文化を形成した。そうしたことは政治的豪腕さ、もっと言えば強権的手腕が必要になる。そしてその政治センスと綱吉の身長は、果たして無縁だったのだろうか。
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■「身長」は人の性格を形成する
このように、「歴史人物の身長」は歴史そのものを考察する上でも欠かせないポイントだ。
豊臣秀吉の身長があと15cm高ければ、彼は天下取りの野望を持たなかったかもしれない。また、彼の息子の秀頼が並程度の身長だったなら、徳川家康は急いで豊臣家を潰しにかからなかった可能性もある。
歴史は、様々な視点からあらゆる考察ができるのだ。
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