文学と「女性の胸」に関する考察
ハイパーメディアフリーターの黒田勇樹さんが、辞書に載っている言葉について語ります。
2016/07/07 19:00
古本屋に行くと必ず100円のワゴンセールから「自分が絶対に買わないであろう本」を買う、俳優/ハイパーメディアフリーターの黒田勇樹です。
興味がないと思っていたものに興味がわいたり、「やっぱり興味がない」と再認識できたりして、面白いですよ。
このコラムは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、さまざまな「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べる「妄想的」な語源しらべぇです。
■芥川が語る「言葉」の定義
「なかなか改めて読む機会がないな」と、手にとった芥川龍之介『侏儒の言葉』の一節に書かれていた
「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ」
という言葉。
この文章に書かれている言葉自体、どれひとつとっても正に美しさが加えられており、「辞書」という言葉すら、この文章の中では「その公平さであったり普遍的なものであったり奥行を感じさせる存在感」が、出ているように筆者は感じます。
辞書に載っている、「辞書」という言葉の意味合いは「多数の語を集録し、一定の順序に配列してひとつの集合体として、個々の語の意味・用法、またはその示す内容について記したもの。(以下略 デジタル大辞泉出典)」といった感じで書かれており、正確ではありますが、それ以上の美しさは感じません。
文章を扱う人間にとって、いつまでも心に留めておかなければいけない金言を見つけた気がしました。
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■「女性の胸」を美しく言うには…
では、「おっぱい」はどうでしょうか? 意味合いは「乳汁や乳房をいう幼児語。(デジタル大辞泉出典)」。 美しくない! 美しくないどころかおっぱい本来の美しさすら、損なわれています。
文章にして、美しさを加えなければ!
「あの子の、おっぱい」。
これだけでも十分に美しくなった気がしますが、「あの」を使用することで個人の経験や想像力に美しさが左右されてしまうため、より明確で強固に「おっぱい」を美しく表現できる文章を考えてみました。
「どうせぶつかるなら、おっぱいがよかった」 。
これならば、誰が発した言葉であろうと、実際はなににぶつかったのであろうと、読者の解釈がバラついたところで「おっぱいが素敵なものである」という認知は揺るぎないものにできたのではないでしょうか?
揺れていてこそ「おっぱい」なのに、揺るぎない。言葉って面白いですね。
(文/しらべぇ編集部・Sirabee編集部)