【黒田勇樹の妄想的語源しらべぇ】「輪と和」から考える世界平和への道
どうも、年末はウチの家族と彼女の家族と初めて同席して、年越しそばを食べることになっている黒田勇樹です。早くも、2度目の年貢の納め時でしょうか?(意味深)
このコラムでは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べ、妄想をふくらませていこうと思います。
日頃、くだらない妄想を、ただただ垂れ流しているこの連載ですが、今回は「平和」の「わ」と、「輪っか」の「わ」が「同じ発音」ということから考察し、最終的には世界平和について考えてみようと思います。
■「丸く収まる」
「すべてが上手くいった」というような時に使われる言葉ですが、この「丸」こそが 「平和」の「わ」、 「輪っか」の「わ」の共通点だと筆者は考えます。
輪っかが丸いのは勿論、「平和」も「全てが丸く収まっている」状態を指しています。
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■「円」と「縁」
偶然、知人と再会したときなどに感じる「縁(ミドリじゃないよ、エンだよ)」、こちらもまた、丸をあらわす「円(マドカじゃないよ、エンだよ)」と同じ発音です。
「縁がある」ということもまた、「上手くいっている」ことをあらわしてはいないでしょうか? 「円」の方に至っては、富の象徴、通貨の単位にまで使用しています。
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■「丸」の反対は・・・?
なぜ、こうも日本人は「丸」をあらわす言葉を、「いい状態」をあらわすときに、好んで使うのでしょうか?
この連載で、よく使用している考察の手段、「反対の意味を考える」をしてみたところ、「角(カド)がある」状態こそ、丸の反対です。
そして、興味深いのが、神話やおとぎ話の中で、人間にとって害をなす者の象徴である「悪魔」や「鬼」にはすべからく「角(ツノ)」があるということ。「丸」や「和」の反対を意味する言葉に、どちらも「角」という字が使われています。
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■ 「角」は「憎しみ」を生む
なぜ、丸は善、角は悪という図式が、日本人の心の中に刻まれたのか? 筆者は自身の体験から、ひとつの答えを見つけ出すことが出来ました。
「角」は、刺さると痛いからです。
さっきベッドの角に、思い切りぶつけてしまい、足の指が真っ赤に腫れています。生まれて初めて「憎しみ」という感情を理解しました、「角」に対して。
これこそが人間が丸をよしとし、角をあしとする本能的な理由なのではないでしょうか? ホント、あそこのベッドの角、ムカつく。
年末最後の考察も、たいしたことのない結論に至ってしまいましたが、皆様の周りから「角」がとれ、来年も「丸」い、平和な1年が来ますように祈っております。
(文/ハイパーメディアフリーター・黒田勇樹)