長久手市の歴史イベントで火縄銃が暴発 その原因は…

2016/10/12 05:30


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愛知県長久手市で行われたイベントで、鉄砲隊が暴発事故を発生させてしまった。

40代男性が発射した火縄銃が異常爆発を起こし、射手は左手首を失う重傷。銃火器の管理が厳しい我が国において、これは由々しき事態である。

長久手市は、かつて豊臣秀吉と徳川家康が争った「小牧・長久手の戦い」の舞台だ。そのため、当地ではこうした戦国関連イベントがよく行われる。愛知県全体で見ても、火縄銃演武を伴う催しが大変多い。

此度の事故は、日本の伝統武芸でもある火縄銃射撃に大きな影を落とした。



■恐怖の「腔発」

以下、この記事では「暴発」という単語をより意味の近い「腔発」に置き換える。銃身炸裂の事故は、軍隊でも「腔発」を使うからだ。

各報道を総括すると、どうやら射手はこの腔発の前に「発射不良」を起こしていたらしい。これは火薬が湿っていたために発生した不発と見られている。ここからさらに火薬を詰めて撃ったところ、銃身が破裂したとのこと。

これはすなわち、「火薬の装填過多」の可能性と「湿った火薬が発射を阻害する異物と化した」の可能性が考えられる。このふたつの原因による腔発は、無煙火薬と金属薬莢が普及する以前の戦争でよく発生した。

銃の改良史は、「腔発をいかになくすか」が主眼に置かれていたと言っても過言ではない。19世紀以前のヨーロッパの小銃隊は、いつも腔発の危機に怯えていた。密集隊形で射撃を行うから、ひとりの兵士が銃を腔発させたら部隊全体が行動不能に陥る。

銃ですらそうなのだから、大砲はなおさら。「1門の腔発は1個砲兵小隊を壊滅させる」とよく言われていたが、腔発が他の大砲の火薬に飛び火し小隊そのものがなくなってしまうこともあったようだ。


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■腔発との戦い

そうした状況に改善のきざしが現れたのは、ナポレオン時代からである。

ナポレオン・ボナパルトは軍隊を規格化した人物。それまでの軍隊とは傭兵主体だったが、ナポレオンは自国民を徴収することにより大きな軍隊を組織した。

そうなると、軍にマニュアルを導入することも可能になる。「適正な銃の扱い方」を軍隊の中で教育していった。それまでは、傭兵ひとりひとりの技量と勘で扱われていたのだ。

19世紀中葉になると、薬莢付き銃弾の確立により不発も腔発も数が少なくなった。だがそれでも、「軍隊での教育」が常に前提にあるのは間違いない。軍に入隊した新兵は、銃の手入れの方法を教官に怒鳴られながら覚える。自分の銃は自分でメンテナンスをするのが常識だ。


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■最善の予防策は?

この先、火縄銃の腔発事故を防ぐ手段は何かといえば、やはり「銃身内清掃の徹底」だろう。非常に地味な結論だが、それに勝るものはない。

現代銃と違い、火縄銃は銃弾と火薬が一体化されていない。長久手市のイベントでは銃弾なしの空砲で発射されたそうだが、それでも不発の際は銃身内に残った火薬をすべて除去しなければならないのだ。

この作業は慎重を期すから、射手ひとりで行なう必要はない。あらかじめ補助要員を用意し、不発の際はふたりで事態を処理するのが一番確実。戦争ではないのだから、こういう場面でマンパワーを割いても問題はない。

我が国日本の火縄銃は、もはや剣術と並ぶ武道である。未来永劫に渡って伝えるべき種目だ。そのためには、安全管理の在り方を今一度考え直すべきではないか。

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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一

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