日銀出身の36歳、小倉將信衆院議員 一日遅れていたら政治家になっていなかった
総務政務官を務める小倉將信議員。なぜ日銀を辞めて政治の道に進んだのか、直撃。
国会議員の素顔やリアルに迫るリレーインタビュー企画の第二弾、前回の小林史明政務官から紹介していただいたのは、同じく総務大臣政務官の小倉將信衆院議員。当選3回、日本銀行出身の36歳だ。
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■初出馬に「親は泣いて止めた」
2004年に東大法学部を卒業し、日銀に入行した小倉さん。オックスフォード大学大学院に留学し、金融経済学の修士号を取得するなど、将来を嘱望されていた。
ところが、2011年に自民党の候補者公募に応募し、日銀を退職してしまう。
小倉:当時、ヨーロッパへの赴任も決まっていましたし、親には泣いて止められましたね。政治家なんて親戚を見渡しても一人もいないんです。
友人は「小倉が!?」といった反応。「政治家になる人は、学生の頃から学級委員長などをやって、昔から人前で話すのが得意で…」という印象があるじゃないですか。
ところが私の場合は、部活の部長やリーダーのような経験はなく、どちらかと言うと目立ったり人前でしゃべるタイプではなかったからでしょう。
でも議員の仕事をしていると、人前で話すこととか不思議と慣れていくものですね。今では、「雰囲気が出てきた」とからかわれます(笑)
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■偶然の積み重ねで政治の道に
では、金融の花形たる日銀を離れてまで政治の世界に挑戦したのは、なぜだったのだろうか。
小倉:じつは、偶然が重なった結果でした。2009年に留学から帰った頃は、その前年に起きたリーマンショックの影響で、銀行の健全性をチェックする当時の仕事はかなり忙しかった。
そんな中で、「日銀にこのままい続けても、一度きりの人生を後悔せずにいられるだろうか」と自問するようになりました。海外から距離を置いて日本をみた経験も大きかったかもしれません。
たしかに安定しているし、まわりに優秀な人も多い。でも、「私がひとり抜けても変わりなく役割を果たせる組織なんだろう」とも感じました。日銀で銀行に融資するお金を日々数百億円動かしている中で世の中のために役には立っているんだろうが、もっと手触り感のある仕事がしたい。
そんな思いをあるとき知り合いに吐露したら、「東京で自民党の候補者公募がある」と教えてくれて、日付を見たら締切が翌日だったんです。当時野党だった自民党ですが、今後候補者を公募する機会はなかなかないのではないか、と考えて、その日徹夜で論文をまとめました。
翌日は出張だったので、もし会食が1日遅かったらあのタイミングで政治家になることはなかったでしょうね。