佐波優子「チャンネル桜」キャスターが語る 家族のように国民に寄り添われた天皇皇后両陛下
今月で終わりを迎える「平成」とはどのような時代だったのか。天皇皇后両陛下の歩みに注目して、佐波優子氏に聞いた。
新元号「令和」が発表され、いよいよ、平成の御代もあとわずかとなってきた。そこで、名著『愛国女子』の著者で、学生時代から遺骨収集に取り組んできた『チャンネル桜』の佐波優子キャスターに、平成を振り返ってもらった。
■「『民のかまど』のような慈愛」
———今上陛下の30年余年の歩みをどうご覧になりましたか?
佐波:平成31年2月24日に開かれた「天皇陛下ご在位三十年記念式典」で、天皇陛下は美智子皇后陛下の詠まれたお歌について触れられました。
ともどもに平らけき代を築かむと 諸人のことば国うちに充つ
天皇皇后両陛下が歩まれてきた30年間は、まさに平らけき代を築くための30年間だったと感じています。「民のかまど」という話がありますね。
仁徳天皇が高地に立って、人々の家のかまどから煙が上っていないのをご覧になった。人々が貧しさでかまどが炊けないことに心を痛めた仁徳天皇が、人々からの税を免ぜられた。それで数年後には人々の家のかまどからは食事の用意をする煙が立つようになったと。
平成の30年を通して、被災地をご訪問して被災者と話をする両陛下、戦地をご訪問された両陛下、そして国民の平安を願って祈りを捧げておられる両陛下のご存在に、私は「民のかまど」のような慈愛を感じました。
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■「家族」の無事を祈る両陛下
———平成は震災のときでした。天皇・皇后陛下が被災地を訪れ、被災者と同じ目線で語りかけるというスタイルが「平成流」と言われましたが、どのようにご覧になりましたか?
佐波:平成の時代にも様々な震災が起こりましたね。多くの方が亡くなり、大切な人を亡くした方々の悲しみも計り知れないほどのものでした。
そのような中、両陛下が被災者に直接語りかけて励まされたことは、どれほど大きな慰めになっただろうかと思います。
両陛下の被災地訪問について沢山の報道が行われました。私はその中でとても心に残ったものがあります。平成7年1月17日、阪神淡路大震災が起こりましたね。天皇、皇后両陛下は避難所をお見舞いされました。
1月31日、西宮市立中央体育館での出来事を読売新聞が詳しく報じています(*1)。この日は。冬一番の冷え込みで、白い息が上がる日だったそう。
両陛下は、体育館にいたあるお母さんと、7歳と4歳の二人の姉妹とお話しをされました。皇后陛下はお母さんの手を握って「よく無事でいて下さった。心配していたのよ」とおっしゃったそうです。私はこの皇后陛下のお言葉に胸がいっぱいになりました。
「よく無事でいて下さった」と「心配していたのよ」というお言葉は、まるで家族や長いこと親しくしていた人から掛けられる言葉のようです。
両陛下にとって国民とは、「初めて会った知らない人」ではなく、「毎日無事を祈っている家族」なのだと、私はこの皇后陛下の言葉から感じました。
このように、両陛下が被災地を回られて声を掛けられるお言葉のどれをとっても、日々両陛下は私たちの安寧を願っておられるのだと実感します。