【黒田勇樹の妄想的語源しらべぇ】「とりにく」を「とりにいく」の秘密
*Photo by Daisuke Okunari
どうも、年末でバイト先の蕎麦屋が閉店することになり、あたふたしているハイパーメディアフリーター・黒田勇樹です。
このコラムでは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べ、妄想をふくらませていこうと思います。
このコラムでも何度か書いていますが、筆者が「語源」を妄想するときに重要視しているのが「響き」。似た音の言葉には必ず、隠された類似の意味が存在します。
この「響き」を利用した言葉遊びの代表格「ダジャレ」や、ラップや和歌等で使われる「韻」に着目してみることで「語源」の世界の新しい景色が、見えてくるのです。
■「とりにく」を「とりにいく」
スーパーで買い物をしている時にふと、思い浮かんだこの言葉。
完全にダジャレなのですが、よくよく考えてみると「鳥(とり)」と「取り(とり)」が同じ響きなのも、偶然ではないのでないでしょうか?
人類は昔、狩りをして暮らしていました。そして、その獲物の中で最も狙われていたのが、たぶん「とり」。
そう!「獲り(とり)」に行くから「とり」。
行動が先なのか名称が先なのかはわかりませんが、「とる」という行為とその対象は原始的に「とり」と呼ばれていたのではないでしょうか?そう考えると「鳥」「取り」「獲り」、それぞれ音が同じなことにもうなずけます。
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■本能的につけられた?動物たちの名前
言葉や生活様式が増え、意味が多様化してきた時に、漢字で細分化していったと考えるのが、自然でしょう。唯一言葉を操る動物、人類の隣人である動物たちには本能的につけられたであろう名称が、多数存在します。
例えば有名なところで「ねこ」、これはいつもゴロゴロ寝ているから「寝子」から転じて「ねこ」。「サル」も、見つけるとぱっと逃げるから「去る」、転じて「サル」。
「カンガルー」は、オーストラリアに白人が初めて上陸した時、先住民に「あの動物はなんだ?」と聞いたところ、現地語で「わからない」という意味の「カンガルー」がそのまま名称になったという逸話が広まっていますが、これも「わからない」とかなり近い意味の言葉、「考える」と響きがそっくりではありませんか。
わからなかったら、考えるもんね!地球の裏側の世界でも、本能から出てくる響きは似てしまうものなのです。
「ウマ」は、食べたら「うまっ!」で「ウマ」
「ウシ」は、捕まえたら「うっし!」で「ウシ」
別の地域では「牛」に押し潰された人が「ギュウ」
ダジャレを侮らないと、言葉の本質が見えてくる、という考察でした。
(文/ハイパーメディアフリーター・黒田勇樹)