奈良時代にペルシャ人がいた?歴史の語り部「木簡」のロマン

2016/10/08 05:30

Radiokukka/iStock/Thinkstock
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8世紀日本、すなわち奈良時代のことを詳しく知っている人は少ない。

だが、この頃の日本は非常にグローバルな社会だったようだ。『続日本記』には、遥かペルシャ地方から来た人物が天皇に謁見したことが書かれている。

ペルシャとは今のイランに相当する地域だが、実際に正倉院のコレクションにもペルシャのガラス器などがある。奈良はまさに「シルクロードの終着点」だったのだ。

そんな奈良で最近、このような大発見があった。



 

■ペルシャ人の名が木簡に

数十年前に発掘された歴史遺物を、最先端テクノロジーで検証。こうしたことは最近になって頻繁に行われている。

先日、奈良でかつて出土された木簡から「破斯清通」という人名が確認された。これは肉眼では判別することはできず、最新の赤外線検査を導入して明らかになった。そして「破斯」とは、ペルシャを意味する。

つまり平城京にペルシャ人がいて、しかも彼は役人として働いていた証拠が出てきたのだ。

当然ながら、8世紀には飛行機などない。この破斯清通なる人物は、イランから日本まで己の足と船で渡航してきたということだ。

ペルシャを含む中東地域は、当時最新の科学知識を有していた。高度な数学を駆使した建築や天文学などは、ヨーロッパや中国にも大きな影響を与えている。そうした知識が奈良にも伝わっていた可能性は充分にあり、今後の研究が期待される。


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■工事現場に木簡が!

ところで、奈良や京都では時折「木簡出土」がニュースになる。

去年は京都で「難波津の歌」の全文が書かれた木簡が出土。これは平仮名のプロトタイプのような文字が記載されていたことで話題になった。

こうしたものが、発掘目的ではない建設工事の最中に見つかることもある。最も有名なのは、1988年に奈良で発見された長屋王関連木簡だ。現場は奈良そごう建設予定地で、学術調査ののち実際に店舗が建てられた。

ところがこの奈良そごう、立地である遺跡を完全破壊するわけにはいかなったため、地下階が作れない。そのため、食料品売場と婦人用品売り場が隣接するという構造になった。結局、奈良そごうは11年で閉店し、現在はイトーヨーカドー奈良店になっている。

この地域の地下には、今も貴重な木簡が眠っているに違いない。


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■木簡専用一眼レフカメラ

ちなみに、こうした出土木簡の赤外線撮影だけを目的にした一眼レフカメラが発売されている。

『PENTAX 645Z IR』は、学術研究専門のデジタル一眼。販売対象は図書館や公文書館、大学などの専門機関で、一般販売は行われていない。購入の際は使用条件を明確にするための書類提出が必要だ。

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※画像はリコーイメージング公式サイトのスクリーンショット

だがその性能は、さすがプロ向けといったところ。経年劣化で見えなくなった木簡の文字も、赤外線撮影により明確にする。此度の「破斯清通」発見も、このカメラがどこかで使われていた可能性がある。

いずれにせよ、歴史考古学の分野ではこうした技術革新が起こっているのだ。

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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一

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