【黒田勇樹の妄想的語源しらべぇ】「さよなら」は「おなら」と関係ある説
*画像出典:Amazon
しらべぇ読者のみなさん、はじめまして。「種族選びを間違えた」人生の迷い人役で6年ぶりにテレビCM出演中のハイパーメディアフリーター・黒田勇樹です。
このコラムでは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べ、妄想をふくらませていこうと思います。
さっそくですが、文章を書くときに「こんにちわ」なのか「こんにちは」なのか、ふと悩んだりすることはないでしょうか?「おおさま」なのか「おうさま」なのか、「おねえさん」なのか「おねいさん」なのか。PCやスマホの普及で予測変換が簡単にできてしまうため、いざ手で書こうとした時にどちらか思い出せないこともあるでしょう。
間違えやすい言葉全ての正解を機械的に暗記できていればいいのですが、言葉というものは無数に存在するのでひとつひとつ覚えていくのはとても大変な作業。広辞苑に載っているだけ、で約24万語の日本語がありますから。
そんな時に役に立つのが、語源を知ること。「こんにちは」であれば、「今日(こんにち)は、天気がいいですね」という出会い頭の会話がだんだん省略されて、「こんにちは」という挨拶言葉が生まれました。
すると、「本当は後に続く言葉があるのだから、“わ”ではなく“は”だ」と覚えられるはず。語源を知れば、自ずと正解が自分の中にインプットされます。
さて、「こんにちは」と来たら、次に来るのが別れの挨拶。「さよ“お”なら」?「さよ“う”なら」?
「さよなら」と省略されることもあるこの言葉、“う”と“お”のどちらが正しい表記なのでしょうか? 語源を調べるときにまずするべきなのは、「発音が類似している言葉を探す」こと。英語などでも、ラテン語で類似している言葉を探すと、その語源がわかることが多々あります。
ちなみに、サザエさんのお父さんである波平さんの口癖は、「サヨー」。別れの挨拶をしているわけでもないのに、「サヨー」「サヨー」と、ことあるごとにうなずいています。この「サヨー」と「サヨーナラ」の共通点を探すことで、“お”なのか“う”なのかの謎が解けるのではないか。
肯定の言葉と別れの言葉の共通点。それは「終焉」です。肯定をするのも、ひとつの話題が「終焉」を迎えたとき。別れも、ひとつの出会いが「終焉」を迎えたとき。つまり、きっとこの「サヨー」とは、終わりを意味する言葉なのです。
では「ナラ」がつくかつかないか。この違いこそが“お”か“う”か問題の答えなのではないでしょうか? 次に、「肯定」と「別れ」の違いについて考えてみましょう。
それは「人」です。「肯定」をして話題が終わっても目の前にいる人はいなくなりませんが、「別れ」はその言葉の通り目の前の人がいなくなります。つまり、「ナラ」とは人と人が一緒にいられなくなることを意味すると考えていい。
同じ場所に共存ができなくなる「ナラ」。筆者はその意味を持つ、類似したひとつの言葉を見つけました。
そう、それは「おなら」。
一刻も早くその場を立ち去りたくなる、人間が持ちうる最凶の自己生成可能なガス兵器「おなら」。「終焉」を意味する「サヨ」の後に「立ち去りたい気持ち」を意味する「おなら」がついたことで、別れの挨拶「さよおなら」は生まれたに違いありません!
ほらね。こうして覚えれば“う”ではなくて“お”が正解だということが、読者の皆様にも腑に落ちたのではないでしょうか?
(文/ハイパーメディアフリーター・黒田勇樹)